「『リング』は恐かったけれど、『らせん』はあまり恐くなくなって、なんだか難しくなった」という評判を、いくつか耳にした。「なんだそりゃ?」と思っていたが、読んでみて納得。『リング』は基本的にホラーだったが、『らせん』はホラー色が極端に薄れ、ほとんどハードSFになっちゃったというわけだった。…なんてことを言うと、ハードSFファンに怒られるかもしれない。もう少し正確に言うなら、「ハードSF風のサスペンスエンターテイメント」とでもなるかな。
どうやら本作は、既製のパターンを全て打ち破った画期的な小説というような評価を受けていたりもするようだが、私はそうは思わない。本作が打ち破ったのは「B級ホラーのパターン(セオリー)」であって、またそれはSFの(それも結構古い)パターンを取り入れることによって実現されているように見える。
本作で描かれている「最初は個人の冒険(あるいはサスペンス)物語として始まったものが、あれよあれよで結局人類の存亡を云々する話になってしまう」という図式は、かなり古くからあるSFにおける黄金パターンの一つだ。そして、その「人類の存亡云々」に遺伝子や生物の進化がかかわって来るというのは、80年代以降の流行でもある。全く目新しいことではないのだ。
「恐怖のビデオテープ」の力によって死に致った人間の死因を究明するという形でリングウィルスとそれによる冠動脈閉塞にまで記述が及び、それをして「かつてないリアリティを実現した」と評されているようだが、これも私はそう思わない。だって、「謎のウィルスの謎の作用で発生する肉腫による冠動脈閉塞」というのは、「超常能力者の怨念による心筋梗塞」よりもリアリティがあるだろうか?情報量が増えているだけで、結局同じことを言っているとしか、私には思えない。しかし、だから同じことでしかないというわけではなく、前者は後者より「読んでいて面白い」とは思う。そう、つまり、少なくとも私にとっての本作はリアリティのあるホラーなどではなく、ハードSF風味のよく出来た与太話なのだ。それは、本作が希有な小説であるということを否定することにはならない。
前作『リング』に引き続き、本作でもオーソドックスな怪談の要素がメインの素材として扱われている。すなわち、「化け物の子供を産み落とす女」、「死人と情交する男」だ。『リング』よりも圧倒的に素材の数が少なく、その分リングウィルスを中心とした記述や描写が丁寧に積み重ねられている。雰囲気としては、J.P.ホーガンの作品を思い出してしまうほどだ。それが『リング』では色濃かった怪談的な恐さとホラー小説らしさを薄れさせ、代わりにハードSF的な面白さを生み出している。もちろん、読者をぐいぐいと引っ張っていく筆力のようなものは相変わらずだし、SFに縁のない読者の目には「画期的」と映っても不思議はないかもしれない。
面白いと思ったのは、高山竜司というキャラクターの人物像を変化させることによる演出だ。『リング』では「頼もしい変人」だった印象が本作の冒頭から徐々に「正義に殉じた男」のようになって行き、それが最後にひっくり返る。そして読者は、「正義に殉じた男」という印象はあくまでも高野舞から見た竜司像と、それを元に安藤光雄が思い描いていたものでしかなかったのだということに気付く。だから、『リング』での浅川和行から見た印象と違っていたのだ。これはちょっと「やられた」と思った。
しかし、本作での竜司の「活躍」にはどうも納得が行かない。そもそも何をしたいのかがはっきりしないのだ。「リング」とか「MUTATION」とかの暗号は、何の役に立ったというのか?これがなくても貞子は舞から産まれることが出来たし、それから改めて貞子が安藤を巻き込んでも不都合はなかったはずだ。浅川のレポート「リング」は発見出来なかったかもしれないが、結局それも貞子(の遺伝子?)が書いたものだとすれば、また書けばいいだけの話ではないか。そもそも、竜司が決して「正義の人」でなかったとしても、果たして浅川を見殺しにしたうえ舞を利用して殺してしまうようなキャラクターだったのか?いや、それ以前に、死んだ竜司が自らの意志で貞子(と天然痘ウィルス?)と結託して「活躍」したというのなら、「気が付いたら復活していて驚いた」という貞子よりもむしろ竜司のほうがずっと物凄い超常能力者ということにならないだろうか?
「クローンによる出産=復活」という図式も、どうもいただけない。「DNAの空き領域に記憶が刻まれていたらしい」とか「何らかの方法で難題をクリアして、一週間で死んだ時の年齢まで成長する」などというのは、リングウィルスに関しての詳細で一応筋の通った記述を全部ぶち壊しにしてしまうくらい安易に思える。もしかして、この調子で浅川や舞も「復活」させるつもりなのだろうか。それじゃあ車田正美か宇宙戦艦ヤマトじゃないの。
もっと細かいことを言えば、「MUTATION」の暗号解読のくだりはちょっと驚いちゃうくらいに陳腐だった。DNA上のアミノ酸翻訳表が出てきた時点で、自然に考えれば正解にたどり着いてしまう。これが一番単純な方法なのだから。しかし、安藤はそこを曲げて散々つまらないパズルをひねくり回したあげく、最後にここへ到着するのだ。どうもこの辺は演出ミスのように感じる。そしてそもそも「DNAに暗号を組み込む以外に連絡方法がなかった」というのは大嘘だ。だって、序盤では死体から新聞紙をはみ出させて連絡していたじゃないの。それが出来るならもっとずっと簡単な連絡方法があったはずだ。
さらに言うなら、「リング」という言葉には一体どういう意味があるのか?ウィルスが指輪のように見える形をしているからというだけ?それでは、浅川のレポートのタイトルはどうして「リング」なのか?このあたりはもう、続編への伏線なのか、それとも単にいい加減に済まされている「お約束」の類いなのか判然としないし、あまりあれこれ言い出すと後で恥をかきそうな気がするのでこの辺でやめておくけれど、とにかく納得出来ないことが山盛りで残ってしまい、リングウィルスに関する記述で盛り上げたせっかくの臨場感が崩れてしまっているように思えるのが残念だ。
『リング』の感想の中で私は「ビデオのダビングよりも人間が子供を作る方がいいのでは?」ということを書いたが、どうやら本当にビデオのダビングというのはダミーで、本題は人間の出産を含めた上映、出版という「大規模拡散」だったようだ。私の疑念は当を得ていたが、実際には一枚上を行かれていたということのようで、ちょっと悔しい。(笑)
「ビデオのダビング」から「上映、出版」に至るというのは理屈の上でも明快で、説得力がある。また、マスメディアを扱うことによってそもそもの出発点である「貞子の恨みの対象はマスコミと一般大衆」という設定が生きて来るとしたら、これは大歓迎だ。続編にはその辺りを期待したい。
というわけで、本作の後には三部作完結巻である『ループ』が控えている。『ループ』は現在まだ新刊書籍のベストセラーランキングに入っているし、当分は文庫化されないのではないかと思う。私はハードカバーの本が嫌いだが、今は早く『ループ』を読みたい気分になっているので、どうしたものかかなり迷っている。早く読みたいというのは『リング』と『らせん』が面白かったからということももちろんあるが、かなり時間が経ってから、文庫化された『ループ』を読むにあたって前二作を読み返すという程入れ込みたくはないので、前二作の内容と印象をよく覚えているうちに読みたいと思うのだ。しかし一方では、わざわざハードカバーを買う程のものではない、というようにも思えている。ただ、どちらにしても、早く『ループ』を読んでみたいという気持ちに偽りはない。私にとって『リング』から『らせん』への流れは、B級ホラーのパターンを気持ちよく打ち破ってくれた、ハードSFの風味も香る優れたエンターテイメント小説だったのだから。