【本の感想】(含ネタバレ)

『千尋の闇』

 う〜んんんんん…、唸っちゃうなあ。面白くないわけじゃないんだけど、私はあんまり楽しめなかった。私ってミステリに向いてないのかしらん?
 いや、この作品をミステリと呼ぶことにもなんだか抵抗がある。ミステリ仕立てのサスペンス小説、というところだろうか。「謎」がいくつも存在してそれが解き明かされる過程が主なストーリーになっているという点ではミステリなのかもしれないけれど、私の中でのミステリ小説というのは謎が解き明かされる過程ではなく、謎解きそのもの、あるいは謎そのもので楽しませてくれる小説のことなのだ。まあ、そんな分類に殊更にこだわっても仕方がないとは思うけれど。

 古い回顧録に記された謎を現代において解き明かして行くというプロットは、ありふれているけれどもそれだけで大がかりな魅力がある。前途有望な若き内務大臣が突然に職と婚約者(の信頼)とを失い、しかもその理由が皆目わからないというシチュエーションも、実に謎めいていてソソられる。…が、そもそもこのシチュエーションの描かれ方がいかにも強引でいただけない。誰かがもう少しでも率直だったら、回顧録の筆者であるストラフォードがもっと色々な行動に出ていたら、自分に何が起こっているのか全く掴めないなどということはなかっただろうと思える。不運が重なりに重なってそうなったのだと解釈出来ないことはないが、それでは到底納得は出来ない。小説は事実より奇では納得してもらえないのだ。
 つまりはどうしても「ご都合主義」が目につくということ。これは上記のことだけではなく、この作品のあちこちでやたらめったらと目につく。ストーリーに色々なドラマや展開を持ち込むための強引さがとても目立つのだ。一人称でそれを押し進めて行く主人公の考えや行動は勢いとても不自然なものになっていて、後の危機的状況を演出するために、当然考えるべきことを考えず、気付くべきことをどんどん見逃し、率直になるべきところで意固地になり、黙っているべきところでやたらとおしゃべりになり、行動が大切になると飲んだくれる。結果的にこの作品の主人公は間抜けでうかつで傲慢で身勝手で、どうしようもなく情けない人間になってしまっている。そうした数々の欠点がキャラクターの人間味を増し、ひいては魅力ともなることもあると思うが、上記のようにストーリーを進めるためのご都合主義でこうなっているという印象がどうしても強いため、私としては読んでいてイライラするばかりだった。
 それは主人公だけでなく他の全てのキャラクターにも言えることで、この作品では各々のキャラクターが各々の行動に出ることで全体の状況や各々の立場が変わって行くということを売りの一つにしているらしいのだが、これもやはりその状況を作り出すために無理矢理キャラクターが動いている印象が強く、人物としての説得力がない。いきおいそれぞれのキャラクターも魅力が乏しくなっている。中でもこの作品の裏のヒロインとでもいった位置づけのイヴというキャラクターはひどいもので、かなり直接的な説明がなされた後でも何を考えて行動している(いた)のかよくわからず、要するに主人公を欺いて傷付けるためだけに出て来たとしか思えない。
 ただ、チョイ役で出て来たバクスターという歴史学者だけはやや生々しい魅力があったのだが、そうなると、もしかするとこのキャラクターだけには具体的なモデルがいるのではないか、などと邪推してしまう。

 また、この作品で描かれる数々の謎だが、はっきり言ってこれは前半でほぼ全て答えの予想がついてしまう。それも、「これこれの証拠から考えて論理的にこれしかない」という類いのものではなく、「どうとでもこじつけられるけど、最も自然なのはこれだろう」という「真相はどれだ」式のものだ。そうした予想が全部当たった(当たってしまった)ということは作者は最も自然で説得力のある答えを選んだということではあると思うが、読者を楽しませる謎としてはお粗末と言うしかないだろう。また、謎の答えの内容だけではなく、それがどうやって解き明かされるかということもそれぞれに大方予想がついてしまい、これにはほとんどあきれてしまった。ストーリーの展開が実にありきたりなのだ。

↓ ネタバレ ↓


 主人公がアンブローズを訪ねてポストスクリプトの存在が判明した時点で、それが屋根裏の城の模型から出て来ることは判ってしまうし、主人公がアンブローズと分かれた時点で、後になってアンブローズから知らせが届きその時に回顧録の謎が解明されると判ってしまうし、それが予想より早く来た(この点では予想が外れた)時点でアンブローズが死ぬことは判ってしまう。エドウィンとキャロラインの結婚証明書が発見された時点でジェラルドの陰謀だと判るし、だとするとセリックの正体も大方の予想がつく。全てがこの調子なのだ。もっとも、エドウィンとアンブローズを誰が殺したかについては、それぞれに誰がやったことにしても説得力は似たようなものなので、これはわからなかったが。…なんだかなぁ。
 さらに悪いのは、それぞれのありきたりな展開が殊更に意外なことのように書かれていること。例えば再びアンブローズを訪ねた主人公がその死を知るところで、主人公は全く、かけらほどもそれを予想しておらず、実に大袈裟に驚いて見せるのだ。主人公はアンブローズがポストスクリプトを発見したことを知っていて、アンブローズがかなり慌てていたことも、誰かにつけ狙われていると言っていたことも、そしてティモシーが発見に気付いた可能性も知っていながら、である。これにはこっちがビックリしてしまう。
 こういうことが沢山重なったので、この作品に対する私の印象はかなり悪いものになってしまった。本当に素直な気持ちで、頭をカラッポにして、ストーリーがあれこれと展開すること自体を楽しんで読み進むことができたならまた印象も違うものになったかもしれないが、どうも私はそれが出来ないたちらしい。

↑ ネタバレ ↑


 ただし、この作品には私の気に入っている点もある。それは、物語を最後まで描ききっていること。
 普通に考えるとこのストーリーなら、回顧録の謎が解明されてその後一悶着あって、そこで一応全てに決着がついて終わりになるのだろうと予想するところだが、この作品ではそうならずに、しつこいまでにストーリーが続いて行き、ラストまで読むと本当にこれがストーリーとしての最後だなと思える(やや余計だと思える部分もあるけど)ようになっている。「とりあえず事件に決着がついたから終わり」式の物語が多い中で、個人的にこういう描かれ方には好感を持っている。

 本書(創元推理文庫)の解説で若島正氏は「あなたが本書で初めてゴダードに接したとしたら、きっとその愛読者の仲間入りをするはずだ。それは保証してもいい。」と書いている。残念ながら、この「保証」は破られる。私はこの作者の作品をもっと読みたいとは思わない。もしこういう系統の作品を読みたくなったなら、この作者の作品よりも、シドニイ・シェルダンの作品を選ぶだろう。それすらも、今後一切ないかもしれない。
 ただ逆に言えば、こういう系統の作品が好きで、シドニイ・シェルダンなんか当然全部読んでしまっていて、他のものを探しているという人には、ある程度安心してお勧め出来る作品(作者?)だろうとも思う。
 やっぱり、私は向いてないのかもしれない。

1998/07/21
『千尋の闇』上・下
ロバート・ゴダード 著
幸田敦子 訳
創元推理文庫(Mコ6-1,2)

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