【本の感想】

『ヘミングウェイ全短編』

 ヘミングウェイの全ての短編を、3冊に分けて収録した本。…いや、あまりにも「そのまんま」な説明だけれど、実際そうなんだから仕方がない。
 私はこれまでヘミングウェイの作品を読んだことがなかった(しょっちゅうこんなことを書いている気がするが、これも事実なので仕方がない)が、それがなぜ急にこんな本を読んでみる気になったのかというと…なんでだろう?どうも「全部入ってる」という事実に惹かれたような気がする。TVショッピングの「お徳用セット」にソソられてしまう主婦と同じ思考回路が働いたのかと思うとちょっと気恥ずかしいが、まあこれも実際そうなんだから仕方がない。抵抗しても無駄というものだ。

 初めて出会ったヘミングウェイ作品は、どれも力強い印象だった。こんな陳腐でありがちな表現はしたくないけれど、実際にそう感じたんだから仕方がない。なんとなく骨太というか、小手先で書いているわけではないんだゾ、というようなパワーを感じる。だから価値が高いとは私は思わないが、これがヘミングウェイ作品の一つの特徴なのだろうとは思う。
 それを狙ってということかどうかは判らないが、全体に、ヘミングウェイ自身の実際の体験談をもとにしていると思われる作品が非常に多い。かなりの作品が、作家である主人公が一人称で語る形になっていて、中にはまるっきりノンフィクションと思える作品もある。そして、それらの作品をそれなりに楽しみながら読み終わって、私は色々と考えさせられてしまうのだ。

 私は基本的に私小説というモノが嫌いだ。それはそれでそれなりに価値のあるものだとは思うが、どうしても「作者が適切な舞台設定や人物を作り上げる(うまくデッチ上げる)行為をサボっている」ような印象があるのだ。ヘミングウェイの短編作品には、多分に私小説的な要素が感じられるものが多かった。ヘミングウェイの短編作品(長編は読んだことがないので)は、主にそれがベースになっている、と言ってもいいくらいの印象だった。しかし、どれもいわゆる私小説として書かれた作品ではないし、私の印象ではフィクションの要素の入り具合もまちまちで、ほとんど単なる体験談に見える作品から、実体験をベースにしたフィクションと言い切れそうな作品まで様々だった。…となると、考えてしまうのだ。「それが文学なんだろうか?」と。
 どんなに現実からかけ離れたフィクション作品であっても、そこには作者の実体験から来る価値観や主張や感慨や、その他色々なものが、多かれ少なかれ入っている。当たり前のことだ。だとすれば、それが文学(を含めた創作)の根本なんだろうか?どこまでフィクションなのか、なんてことにこだわることがそもそもナンセンスなんじゃないだろうか。私小説的なものに反発を感じてしまう私の感覚は、そもそも矛盾しているのだろうか?

 なんだか難しい話になって来てしまって、要するに私自身がよく解らなくなって来ているのだが、今のところ、私としては「私小説を嫌いでOK」と思うことにしている。文学(創作)は、そんなに懐の狭いものではないはずだ。色々な目的の色々な作品が、可能性としては無限の方向があって、その中の一つの方向が私小説であり、それに割と近い方向を向いてヘミングウェイの短編作品群があり、私としてはどちらかというと別の方向が好きなのだ、と。非常に短絡的かつ場当たり的な認識ではあるけれど、なにも今すぐキッチリとした結論を出さないといけないわけではないし、また少しずつ本を読みながら少しずつ考えて行こう、と思うことにした。もちろん、今すぐに暫定的にでも結論を出せればその方が嬉しいことは確かなのだが。

 まあそんなこんなで、ヘミングウェイの短編作品群は、私の単純な好き嫌いの区別をちょいとばかり揺すぶってくれるだけのパワーを持っていた、ということだ。これは端的に言って、非常に有り難いことだったのかもしれない。

1998/07/16
『ヘミングウェイ全短編1:われらの時代・男だけの世界』
『ヘミングウェイ全短編2:勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪』
『ヘミングウェイ全短編3:喋々と戦車・何を見ても何かを思い出す』
アーネスト・ヘミングウェイ 著
高見浩 訳
新潮文庫(ヘ2-10,11,12)

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