【本の感想】

『竹光始末』

 雑誌のインタビューか何かで誰かが藤沢周平氏の短編小説が好きだと言っているのを読んだことがあって、そのうち一度読んでみようと思っていた。情けないことにどこで誰がそう言っていたのか思い出せないのだけど、立ち寄った書店でふと気がついて、新潮文庫コーナーにあった藤沢周平作品の一番左側にあった一冊を手に取ったら、この本だった。なんだかしょっちゅうこんなことを書いている気がするが、実際私はしょっちゅうこんな調子で本を買っているので仕方がない。

 この本は、時代小説の短編集である。読み終わってから、はて、私は時代小説というものをマトモに読んだことがあっただろうか、宮部みゆき氏の『かまいたち』なんかは少し前に読んだけれど、それ以外には思い出せないなあ、などと考え込んでしまった。つまり、この本に収められた作品群は、それほどまでに違和感なくスッと読めてしまって、私としては逆にビックリしてしまったというわけだ。
 考えてみると、私にとってのこの本はマンガやTVドラマで親しんでいる「時代劇」にとても近いというか、ほとんどそのまんまの印象だった。時代小説というものに何かもう少し違うものを期待(あるいは覚悟)していた私は、それで半ば驚き、半ば拍子抜けしたということらしい。
 この本の作品群は一様に、わりとクールなリアリティを持っていながら、根底の部分で数々のドラマ的「お約束」は守られている。もう少し具体的な言い方をすると、善人と悪人がはっきりと別れていたり必ずハッピーエンドになったりということはないけれども、基本の部分には性善説があって、アンハッピーなストーリーでもハードボイルドなところまでは行かない、というような感じだろうか。人によってはこういう傾向のドラマを中途半端と感じるようだが、私は基本的にこういったバランス感覚は好きだ。もちろん、中庸でバランスを取るからには読者を納得させるだけの説得力が必要で、それがない場合にはそれこそ私が見ても中途半端でしかなくなってしまうのだが、この本の作品群はバランス感覚に優れいているように思えた。
 しかし、少々物足りなさを感じたことも確かだ。バランス感覚に優れた、飽きさせないドラマであることは確かなのだけど、つまりはそれだけ、という印象だったからだ。新鮮味とか、目立つような個性とか、そういったものがどこにも感じられないのだ。これは、別に時代小説だからというわけではないと思う。何もかもが非常に堅実で、悪くいえばありふれていると感じだ。唯一、表題作でもある『竹光始末』のラストにはちょっとばかり深みを感じたが、それ以外はとくにどうということもなく、「なるほど、そうですか」という感じで読み終わってしまった。これは別に、この本の作品群が凡庸だと言っているわけではない。私は読んでいて面白かったし、とてもその辺に転がってはいそうにないクオリティの高さも感じた。だが、それ以外にもう一つ何かが欲しい気がした、ということだ。
 この本のあとがきで著者は、とにかく面白い時代小説を書き、それを読者に面白く読んでもらいたいと考えている、というようなことを書いている。なるほど納得ではあるのだが、それで私の物足りなさが満たされるというわけでもない。

 正直に言って、この本を読んでみての感想は、面白かった思いよりも物足りなかった思いの方がやや大きい。しかし、なかなかに私好みのバランス感覚と、卓越したクオリティのストーリーテリングの妙は感じられた。当然ながらこの本一冊だけでかなり沢山あると思われる藤沢周平作品全体を判断することは出来ないし、このまま物足りない思いだけで離れてしまうのは惜しいという気にもなっているので、近いうちに少なくとももう何冊かは読んでみようと思っている。

1999/01/03
『竹光始末』
藤沢周平 著
新潮文庫(ふ11-2)

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