【本の感想】

『スノーグース』

 うーん、これはまた、評価の難しい本を買っちゃったなあ。
 この本には三編のファンタジーが収録されている。そのどれもがしっかりと「いい話」で、しかも単にいい話というだけではない、胸を打つ要素をちゃんと持っている。これは非凡なことだと思う。だけど、私には大いに気に入らない面があるのだ。
 私が気に入らないのは、作品の根底に流れる世界観や価値観があまりにもあっけらかんと安定していて、疑問の余地がなく、悪く言えば傲慢であるところだ。「スノーグース」の主人公ラヤダーは、自分の住む灯台のそばに囲みを作って勝手に「神聖保護領」とし、鳥打ち網で無理矢理つかまえた鳥をそこに持って来て餌付けし、うち何羽かの風切り羽を切って渡りの時期にも居残らせ、次の年に渡って来る鳥たちへの目印としている。そして、この行為は作品中でラヤダーの心に「憐れみと思いやりがあふれ」、ラヤダーが自然と動物をこの上なく愛している証拠として描かれているのである。「ルドミーラ」では、乳牛たちが沢山乳を出してあまたの人々に飲ませることが出来ることを誇りとし、その年に一番乳を出したチャンピオンとして称えられることを切に願い、祭りの行列で飾りたてられることを心底喜んでいる、という設定が何のてらいもなく(まあ、てらいがあったら余計おかしいが)描かれている。私としてはどうしても反発を感じてしまい、腹の奥で皮肉の虫がうごめいて仕方がないのだ。
 …と、私の場合普通ならこの手の大きな反発を感じると「ダメだこりゃ」の評価を下してしまうことが多いのだが、この本に収められた作品群にはそうしてしまうには惜しい、かなりの魅力があることも確かだ。それは大雑把に言うと真っ当なファンタジーとしてのドラマ性なのだが、具体的にはクライマックスからラストへ至る展開の描き方、つまりはストーリーテリングの妙だと思える。これは一読の価値があるかもしれない。

 上記の点の他に、この本には私の気に入らない点が二つある。
 一つは、会話(セリフ)が不自然なこと。これは「スノーグース」でとくにヒドイ。舞台が田舎であることを意識し、また子供のセリフをそれらしくしようと必要以上に気張った結果、なんとも珍妙な会話になってしまっている。もしかするとかなり昔ならこれでもイケていたのかもしれないが、現代の日本人にとってはゲロゲロものだと思う。もちろんこの責任は翻訳にある。
 もう一つ気に入らないのは、挿絵だ。もともと私の嫌いなタッチの絵だということはあるが、どう客観的に見ても物語にそぐわない雰囲気の絵なのだ。そしてこれも一番ヒドイのは、「スノーグース」で鳥を抱えた少女が登場する場面。作中ではっきりと「金髪」と書かれているにもかかわらず黒髪をなびかせる絵の中の少女は、服装もプロポーションも顔立ち(これは半分しか見えていないが)も、どう見ても日本人にしか見えないのだ。この挿絵に関しては、文句なしで「ダメだこりゃ」である。

 要するに、翻訳と挿絵という元々の作品には関係のない部分で大きくポイントを落としてしまったわけで、これはこの本と私の出会いにとって不幸なことだったと言えるだろう。そうなると、最も大きなネックとなっている価値観の問題も、原書ではまた印象が違っているんじゃなかろうか、などという疑いも起きて来るのだが…、それでもまだ、私は同じ作者の別の作品を読む勇気を出せずにいる。

1999/02/03
『スノーグース』
ポール・ギャリコ 著
矢川澄子 訳
新潮文庫(キ2-2)

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