ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの久々の新刊…って、それは日本においてのことであって、作者はとっくに亡くなっている。今になってどうして新しい本が、と書店で見つけて驚いたのだが、実はこの本はアメリカでの出版順から行くと『老いたる霊長類の星への賛歌』の後、『たったひとつの冴えたやりかた』の前に出たものらしい。ちなみに日本では『老いたる…』は『たったひとつ…』よりも後に出ているし、作者の最初の作品集である『故郷から10000光年』はさらに後に出ている。日本の作品でも文庫化の順番が狂うのは珍しい話ではないし、ましてや翻訳では色々と事情もあるのだろうとは思うが、それでもここまでグチャグチャだと少々納得行かないものを感じてしまう。
ともあれ、私にとっては「好きな作家」のかなり上位に位置する作者の作品である。一読しての正直な感想は、「…ちょっと期待し過ぎたかしらん?」。
確かにどの作品も面白いし、充分に引き込まれるし、作者の「らしさ」のようなものもうかがえる。しかも、初期の(というのは上記のような理由で後知恵なのだが)作品に比べると格段に読みやすい。普通の意味で「お勧めのSF短編集」と言っていいんじゃないかと思うのだが、どうも何と言うか、ガーンと来る凄味のようなものが感じられなかった。「接続された女」や「愛はさだめ、さだめは死」(『愛はさだめ、さだめは死』に収録)、「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」(『老いたる霊長類の星への賛歌』に収録)、「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」(『故郷から10000光年』に収録)などを読んだ時の、何とも言えない、とにかく強烈な感じだ。はっきり言ってそんなものは滅多にあるものではないのだが、私がこれまでに読んだジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの本には、少なくとも一冊に一回はそれがあった。この本に収録されている「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!」や「スロー・ミュージック」、「星ぼしの荒野から」も気に入ったし、他の作品も充分に非凡だとは思うのだが、やはり「ガーン」がなかったのだ。そもそも私の期待が大き過ぎたのかも知れないし、私がこの作者の作品の雰囲気に慣れて来てしまったということもあるのかもしれないが、個人的にはそうではないと思っている。通読してみると、確かに『老いたる…』から『たったひとつ…』へつながる時期の本なのだな、と納得する部分があったりもするのだが、そういう読み方は私の趣味ではない。加えて言えば、この本で一番強く印象に残ったのは「ラセンウジバエ解決法」の最後の一行に込められた皮肉っぽいユーモアだった。
感想文の最後は未読の人に対してアドバイスっぽいことを何か言って終わるのがセオリーだと思うのだが、今回はそれがかなり難しい。客観的に見てこの本が非凡な作品集であることは確かなのだが、私にとっては期待外れの面があったこともまた確かで、それではお勧めではないのかと言われると、そういうわけでもないような…。まあ強引に結論めいたことを言ってしまえば、私としてはこの本単体ではなくこの本の作者がお勧めなのだ。冒頭の話に戻ってしまうが、これからジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品を読んでみようという人は、どうせならアメリカで出版された順番に読んでみるといいのじゃないかと思う。念のため、その順番は以下の通り。
『故郷から10000光年』
『愛はさだめ、さだめは死』
『老いたる霊長類の星への賛歌』
『星ぼしの荒野から』
『たったひとつの冴えたやりかた』