ちょっと変わった題名に惹かれて、書店で何気なく手に取ってみた一冊。この本には「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」というシリーズ名が付いている。なんでも、19世紀末にシャーロック・ホームズの雑誌連載が始まって大評判を博したことで、それに追随する形で産み出された「似たような」作品群の一つということらしい。私は「なるほど、泡のように消え去った時代の徒花ってことか」と解釈し、それも面白いと思って買ってみた。文字通りの二番煎じということなら、100年も経った現代の出がらしや、焙じたり着色したり香料を加えちゃったりした妙なお茶よりも美味しかったりするかもしれない、と考えたわけだ。
…が、この本の解説を読んでみると、この作品は時代の徒花どころかかなりメジャーな存在で、いわゆる「安楽椅子探偵」の元祖の一つとも目されているらしい。そう言えば、作者の「オルツィ」という名前はどこかで聞き覚えがあるような気がする…としばらく考えて、ようやく思い出した。綾辻行人作『十角館の殺人』の中で、登場人物のミステリー研究会のメンバーがお互いを呼ぶ「エラリー」とか「ヴァン」とかのニックネームの一つに確か「オルツィ」があったのだ。いやはや、そんなにメジャーな存在だったのか。私はちっとも知らなかった。いつものことだけど。
…で、作品について。
やはりというかさすがというか、なかなか面白かった。最初期の探偵小説ということで「謎」の構造自体は素直で予想がつきやすいが、それだけに納得しやすいものでもある。むしろ、基本的な構造や道具立てが現代においてもほとんど変わっていないんだなあと驚かされる。一方で、語り口の芝居がかり方や妙に律義な文章構成など、「なるほど昔の作品だ」と実感する部分もあり、そのギャップが面白い。ある意味、ミステリー要素の普遍性の証明なのかもしれない。似たパターンの謎解きが目につくのが少々気になるが、このシリーズはもっと沢山の作品があるらしいので、その辺はこの本だけを読んでどういう言えるものでもないのだろう。
名探偵たる「隅の席の老人」に名前がないというのがまず面白いし、この老人が事件の謎は勇んで解くけれども決してそれを元に「解決」しようとしたりはしないというのも面白い。シャーロック・ホームズを意識して「それとは違ったものを」という意気込みが感じられるような気がして、「二番煎じはこうでなくちゃ」などと妙な感心のし方をしたりする。
しかし、せっかく魅力的な要素を色々と持っている「隅の老人」なのに、そのキャラクターの面白さが作中であまり活かされていないように思える。短編の短い枠の中で「謎」について多くのことを説明しながらキャラクターも活かすというのは非常に難しいことなのかな、とも思うし、そう感じるのは現代風の価値観なのだろうとも思うが、やはり少々惜しい気がした。この点ではやはりシャーロック・ホームズに分があるようだ。
作者バロネス・オルツィ氏は、『紅はこべ』という作品で有名らしい。どうもこの作品はミステリーではないようだが、シリーズ化されていたりもするようだ。今度書店に行ったら、ちょっと探してみようか。
なんだか思いっきり無知をさらけ出しているようで恥ずかしい気もするが、知らないものは仕方がない。人間、正直に生きなくては。こんなところで知ったかぶりしてもロクなことはない。(…と、自分に言い聞かせる)