『お金物語』と同じような、解説と物語とそれ以外が織り混ざったような構成で描き出される「単位」についての連作短編。「科学エッセイ」と呼ばれる範疇の作品になるのだろうか。
『おもしろくても理科』を読んだ時と同じように、やはりどうしてもアシモフ氏の科学エッセイと比べてしまって食い足りない印象が先に立つのだが、この本を読んでみて、アシモフ氏の科学エッセイにない魅力も少し見えて来たような気がする。アシモフ氏の作品は、「どんな風に説明すれば一般の人にも解りやすいか」ということをキッチリと考えて書かれているところが凄いわけだが、清水氏の作品では更に一歩読者に歩み寄って、「これを読んだら読者はどう思うか」まで考えて書かれているのだ。例えば、以下は「1の惑星」からの引用。
地球はかつて、一年が四〇〇日だった。
そんなことを言うと、なんでそんなこと知っとんのや、と言われてしまいそうだ。
見たんか。
いやその、見たわけではないが、証拠があるのである。(以下略)
この「見たんか」で笑わされてしまうのは、自分も科学や歴史の解説を読んだり見たりしてそんな風に思った経験があるからだ。もちろん清水氏にもそれがあるのだろう。そして、自分が解説する側になってもその感覚を忘れずに作品に活かすことができるのが、清水氏の凄さなのだろう。もっとも、そんな風だからイマイチ内容が薄くなってしまうのだとも言えるし、これはなかなか難しいところだろうとは思うのだけれど。
もう一つ面白いのは、清水氏が作中で「科学のことでわからないことがあるとまずアシモフ先生のご本を読むことにしている」と公言してしまったりしていることだ。「以下はこれこれの本から得た知識である」と出典を明示したりもするし、とにかくとても読者に近い立場に自分を置いていることがうかがえる。これは読者に親しみを感じさせ楽しませ、ひいては内容の理解を助ける配慮であると同時に、「自分は専門家ではないので多少のことは大目に見て欲しい」という一種の「逃げ」でもあるかと思う。だからいいとか悪いとかいう問題ではないが、ある意味ではフェアなことでもあるし、個人的には割と好きな姿勢だ。
単純に一番笑えたのは、落語調で書かれた「数えられますか」。単に私が会話による進行が好きだということなのか、落語調の書き方とこういったギャグとの相性がいいのか、はたまた清水氏が落語に対する非凡なセンスを持っているのか、その辺はよく判らないのだけれど、とにかくかなり面白かった。
なるべく気軽に知識を得るための書物という位置づけではなく、ちょっと知的な興奮も味わえるエンターテイメント、というところだろうか。