現在のアメリカでは、小説が雑誌などに連載されるということはほとんどなくなっているらしい。つまり、「以下次号!」という「ヒキ」で読者を焦らすような作品がないということだ。そういう状況の中で、毎月1冊刊行という形で敢えてそれに挑戦したところが、この作品の最大の特徴ということらしい。本国アメリカにおいて、この試みは大成功だったようだ。そしてその出版形態は翻訳書においても踏襲され、この文庫本は日本でも月に1冊ずつ6ヶ月にわたって発売された。
しかし、日本においては小説が雑誌に連載されることは別に珍しくないし、マンガではそうでない方が珍しいくらいで、要するに「以下次号!」は全く珍しくもなんともないのだ。私は6冊まとめて読んでしまったのであまり強くは言えないが、この出版形態についてはとくに感銘を受けなかった。薄い文庫本6冊に別れている分値段が割高だなあ、というくらいにしか思えない。各巻末の「ヒキ」についても、とくに巧妙で焦らされるとも思えないし。
で、内容についてだが、これもやはりアメリカと日本の事情の違いというものをかなり大きく感じてしまった。キリスト教と聖書が物語のベースとなっている時点で日本人にとってはかなり馴染みが薄くなってしまうし、作中で扱われている価値観とかメタファーとかもいちいちキリスト教的なので、私としてはかなり釈然としないものを感じてしまった。
例えば、病気や怪我を「体に入った悪いもの」として、それを「吸い出す」ことによって治癒し、吸い出された「悪いもの」のメタファーが「虫」であるとか。これに限らず、「善」と「悪」が非常に明瞭に、そして具体的に区別のつくものとして描かれている点もかなり気になってしまう。
もちろん、ラジオの番組名やタレントの名前で時代を感じさせたりする手法の効果を感じられないということもあるが、それよりもやはり根本的なものの見方に違和感を感じてしまうという問題が大きいように思う。
また、キング氏の作品では「理屈無用の力技」が一つの特徴になっていたりするわけだけれど、これがこの作品ではとくに気になってしまった。例えば超能力を持った人物が現れたとして、普通ならその生い立ちだとか血縁だとか過去の体験だとかに何かを設定して説明し、少しでも説得力を増そうとするものだが、キング氏の作品ではそれが一切なされず、ただただ「そういうもの」としてグイグイと押し進められ、その物語性と臨場感だけで説得力を増してしまう、ということが多い。それはこの作品においても全くその通りのやり方になっているのだが、今回はそれに対して釈然としない思いが強く残ってしまった。恐らくはやはり、前述の「ものの見方」に対する違和感が影を落としてしまい、素直に説得力を感じる気分を阻害したのだと思う。
そういうわけで、個人的に私はこの作品をあまり好きにはなれなかった。上記の理由に加えて、序盤ではやや謎めいていた物語のプロットが、結果として全く意外性のないものだったということも結構大きな原因かもしれない。
ただ、私としてもご多分に漏れず、どんどんと引っぱられて6冊の文庫本を読み切ってしまったことは確かだ。もちろん、その間に退屈を感じることはなかったし、途中で止めて別の本を読みたくなることもなかった。改めてキング氏の筆力は凄いな、と感心もした。正直な話、クライマックスでは少々グッと来たりもした。
だから、私は誰かに「こんな本は読まない方がいいよ」と言うつもりは毛頭ない。ただ、「時間潰しにしかならないかもしれないよ」とは言うかもしれない。もちろん、時間潰しとしてはかなり良質のものだと思うけれど。