んー…、いや、面白いことは面白かったんだけどね。
やはり何というか、新鮮味がない。使い古されたネタの焼き直しに色々なオカズを加えて練り上げて、どうにか読むに耐えるものに仕上げている、という印象が否めない。他の沢山のベストセラー小説や、ハリウッド映画と同じように。
ショッキングなシチュエーションで発見された美しい女性の変死体の謎を追いかけるサスペンス・ミステリで、主人公は一筋縄でない過去を持ち、そろそろ疲れの見えるタフガイ捜査官。若く美しく有能な捜査官で、主人公と以前いわくのあったヒロインとの恋愛模様を織り込みつつ、有力者から圧力をかけられたりなんかしながらも、文字通り寝食を忘れて精力的に動き回る彼らが暴き出すのは、腐敗、不倫、異常心理、セックス、セックス、ファック、ファック、ファック…。どうしても手垢のつきまくった「売れ線」の要素を作為的にてんこ盛りしているだけのように見えて、ウンザリしてしまう。今時普通、誰だってこんなのには飽き飽きしていないだろうか?
「自らも問題と悲哀を抱えた中年刑事が靴底をすり減らして歩き回り、そうして集めた断片的な証拠をつなぎ合わせ、最後に被害者の愛人であった自分の上司を逮捕する。そんな小説のどこが面白いんだ?」
手元に本がないのでだいぶ違うかも知れないが、大体こんな意味のセリフが、綾辻行人氏の『十角館の殺人』に出て来る。ロジカルな本格推理小説を愛好する青年が、やたらと社会派ミステリばかりがもてはやされる現状を嘆いて言うセリフだ。社会派の愛好者は本格推理を型にはまっていると言って馬鹿にするが、社会派の方も別なレベルで見事に型にはまっていて、むしろその方が工夫がなくてつまらない、というわけだろう。どっちもどっち、という意味では、私もそう思う。そして、奇しくもこのセリフで言われている典型に、この作品の大筋はかなりバッチリとはまっている。これでは、少なくとも意外性を感じろというのは無理な相談だ。
加えて、主人公たちが事件の犯人を探り当てる最終的な決め手となるのは、なんと「勘」だったりする。それまで散々理屈をこね回し、科学的な証拠を求めて右往左往した揚げ句にそう言われては、思わずズッコケてしまう。他の容疑者を外す根拠も、「どうしてもそうは思えない」とか何とか。まあ、現実の事件捜査というのは結構そんなものなんじゃないかという気はするが、小説では普通それは許されないんじゃないだろうか。小説は、事実より説得力が必要なのだ。
それでもこの作品が読むに耐えるものになっているのは、やはりベストセラー作家たる著者の力量なのだろう。この作品の最大の売りであると思われる、軍隊内部を舞台としたことによる目新しさも、まあまあの効果を上げている。
しかし、どうも気になるのは文章や会話の不自然さだ。場面展開のリズムが悪く、会話はそれなりに気が利いてはいるものの装飾過多で、それでいて妙に理屈っぽい。総じて非常に解りやすくはあるものの、臨場感にはだいぶ欠ける。とくに序盤ではこれがヒドく、何だか意味不明と思える部分まである。果たしてこれが元々の文体なのか翻訳のせいなのかは判らないが、少なくとも会話の不自然な装飾や理屈っぽさなどは、元々のものだろう。こういうのを好む人もかなりいるということを私も知らないではないのだけれど、個人的にはどうしても作為の臭いを強く感じてしまって、受け付け難いものがある。
全体としての印象は、良くも悪くも、ハリウッド映画原作向けの小説だな、というところ。映画の方は観ていないけれど。
この著者の作品を読むのは初めてだが、私の中では「気が向いたら、時間潰しを覚悟で読んでもいい作家リスト」の、キング、クーンツ、マキャモン、他諸々の後に、デミルが加わったという感じだ。だとすると、リストの前の方の作家に未読の作品がゴマンとある以上、デミル氏の作品は二度と読まない可能性も高いということになる。