これは、近頃流行りの安易な自然保護思想に対する痛烈な批判を主軸にした映画…だと思って観てみたら、今一つその感触は薄かった。確かに「単純な思い込みではダメだ。もっと深く考えなくては。」といったメッセージは充分に感じられるのだが、それがあまり「痛烈に」は伝わって来ない。全ての人間にとってかなり「痛い」テーマを扱っている作品なのに、観ていてあまり「痛み」を感じられない。
大雑把な図式は『風の谷のナウシカ』とあまり変わらないのだが、今回は描き方がまるで逆になっているのだと思う。『ナウシカ』では主人公ナウシカの生きざまをメインに描きながらその背景に「自然と人間の対立」の図式があるという感じだったが、『もののけ姫』では「自然と人間の戦い」がメインで、サンもアシタカもその舞台で生きるキャラクターの一人に過ぎないという気がする。この作品で制作者が(内部の事情は知らないので「宮崎監督が」とは言えないが)描きたかったのはサンやアシタカではなく、それらのキャラクターが生きる舞台としての日本、そしてそこで織り成される「自然対人間」という大きなジレンマを含んだ、「世界そのもの」だったのじゃないかと思う。そして、そんな大それたものを描ききるには2時間あまりの映画枠ではいかにも短すぎ、説明不足や消化不良が残ってしまったのじゃないかと。
一番問題だと思うのは、ラストがあまりにもあっけなく、そして一見ハッピーエンドに見えてしまうこと。この終わり方はどう考えてもハッピーエンドではないし、制作者の意図もそうだと思うのだが、それにしてはあまりにもほのぼのと終わってしまっている。もしかすると、「これはハッピーエンドでも悲劇でもない。単に『こうなってしまった』というだけなんだ。」と言いたいのかもしれないが、それならそれでもっとじっくりとそれを感じさせて欲しい。上記のようにキャラクターの一人でしかないサンとアシタカの会話を通しての表現だけでは、いかにも弱い気がする。「シシ神さまは死んでしまった。」とサンは言うが、それだけでは人間(と森)が大きなものを失ったのだという実感が、どうしても伝わって来ない。「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。」というアシタカの台詞も、言いたいことはわかるし、一つの結論だとも思うのだが、どうしてもとりあえず救いを見いだそうとする苦し紛れのように感じられてしまう。やはり、ラストシーンにもっと時間を割いて、じっくりと描いて欲しかったと思う。もちろん、他のシーンもこれ以上削れないのだというところはあるのだろうけれど、それなら全体の時間を伸ばすなり単発映画以外の方法で制作するなりして欲しい。実際問題としてそれは不可能に近いのかも知れないが、そんなことはこちらの知ったことじゃない。私は単純に観客の一人として、そう思うのだ。それだけの価値のあるテーマだと思うし、それだけの可能性のある作品だと思うから、余計にそう感じる。
もう一つ思うのは、どうも「残酷性」や「悲愴感」が足りないように感じること。確かにこれまでのジブリ作品には見られないような、腕が飛んだり首が飛んだりというカットがいくつか見られるが、この作品のテーマはかなり残酷かつ悲愴なはずで、それを考えるとまだまだ不足という気がするし、上記のカットも全体の中であまり生きていないような気がする。各方面への配慮というのがあるのだと思うが、それもやはりこちらの知ったことではない。『新世紀エヴァンゲリオン』は、一人の少年の内面のジレンマを描くだけでもあれだけ残酷かつ悲惨な描写を必要としたのだ。私は『エヴァンゲリオン』という作品を手放しで賞賛するつもりなど毛頭ないし、それが基準になるというわけでもないが、『もののけ姫』が扱っているテーマとそのスケールを考えると、どうしても表現の上でのインパクト不足を感じてしまう。
メインキャラクターが死なない、というのも問題だと思う。確かに乙事主やモロは終盤で死んでいくが、これはどちらも覚悟の死であり、死に様としての扱いもしっかりした、ストーリーの一部としての死だ。そうではない、「こんなところでこんな風に死んじゃうなんて、酷い。あんまりだ。」という死が、この作品では描かれていない。サンやアシタカはもちろん、タタラ場の面々もモロの子供たちも、キャラクターとして描かれた人物(もちろんもののけも含む)は誰も死なないのだ。もちろん、単に死なないというだけならそういうストーリーだということで全く問題はないのだが、この作品では「その他大勢」はやたらと死んでいるはずなのだ。タタラ場の人々ももののけも、多くの者があっけないほどに理不尽な死を遂げているはずなのに、それがキャラクターの死として描かれていない。ある意味一番悲惨な運命をたどったと言える、全滅した猪たちに至っては完全にエキストラ扱いだ。見方によってはその方が描写として残酷だと言えるかもしれないが、少なくとも私にはそうは見えなかった。むしろ「いい人は死なない」お約束に近いものを感じてしまい、それが「悲愴感」の不足を感じる一因になっていると思える。
クライマックスの悲愴感という点では、やはりどうしても『ナウシカ』と比べてしまう。『ナウシカ』では王蟲の暴走に対するは巨神兵という「もー、どうしようもない」ほど悲惨な状況の盛り上がりがあったからこそ、やや強引なラストを受け入れることが出来たし感動することも出来たのだと思う。『もののけ姫』の世界には王蟲も巨神兵もいないのだから、何か別のアプローチで悲愴感を盛り上げなくてはいけなかったと思うのだが、結局は似たような図式の描き方しかされなかったために、やや「盛り上がり」に欠けてしまったのではないだろうか。
ただ、これらのことはあくまでも私の感覚と印象においてのことであって、私が数々の残酷描写に毒されてしまっているという可能性もないではない。果たして子供がこの作品を観たらどう感じるのか、年配の人が観たらどう感じるのか、アニメと言えばディズニーしか知らないような人が観たらどう感じるのか、ぜひ機会があったら聞いてみたいと思う。なかなか難しいとは思うけれども。
ともあれ、これだけの作品がなかなかあるものじゃないことは確かだと思う。私がこれだけあれこれと言いたくなる作品もなかなかあるものじゃないし。(笑)
日本人なら観ておかなくてはいけない作品、と言ってしまってもいいんじゃないかとは思う。
一説によると、宮崎駿氏が監督する映画はこれで最後だという。真偽の程は知らないが、もし本当なら非常に残念なことだ。宮崎監督の有終の美を飾る作品としては、『もののけ姫』には個人的に大いに不満が残る。宮崎氏には、もっともっと作品を生み出して欲しい。実際的な都合や事情は知ったことじゃない、一人のわがままな観客として、そう思わずにはいられない。