いやー、凄い凄い。
何が凄いって、まず日本劇場の朝の回に行ったにもかかわらず立ち見客がかなり出ていたというのが凄い。これで日本人の映画離れが進んでいると言うのなら、要するに制作と広告が怠慢なだけなんじゃないかと思えてしまう。
作品の印象はというと、これはまあ確かに大したものだと言うしかないだろう。これぞ現代のハリウッド映画、という感じ。以前、人から『スピード』の印象を訊ねられて「A級の二流映画」と答えたことがあったのだけど、『タイタニック』はそれを上回る「特A級の二流映画」だと思った。
「二流映画」たる所以は、新鮮味や意外性、心の奥底に響くものや、長く胸に残るものなどが何もないから。つまりは、狭い意味での「芸術性」が全くないということだろうか。
その代わりに、ハリウッド映画お得意の計算されたエンターテイメント性はこれでもかと盛り込まれている。ロマンス、スリル、スペクタクル、人情話に、少々安っぽい叙情性などなど。これら、魅力的であるが故に手垢の付きまくった要素を縦横無尽にちりばめ駆使して、のほほんと眺めている観客をグイグイ引っ張って行く。それでいて全体のまとまりが崩れていないのはストーリーが非常に単純だからでもあるのだろうが、やはり大したものだと思える。三時間に及ぶ上映時間も、とくに長いとは感じなかった。
変な言い方になってしまうが、これだけ新鮮味のない作品をこれだけ楽しませてしまう制作者の手腕には、少々空恐ろしいものすら感じる。何と言っても、ちょっとしたCMや予告編を見たらこの映画の内容や方向性は全て判ってしまうのだ。実際に観終わってみても、観る前に予想していた以上の要素は何もなかったと自信を持って言える。しかし、予想していた以上に引き込まれ、楽しめたこともまた確かなのだ。一体何がそうさせるのかと考えてみても、明確な答えは出てこない。結局は細かな部分の積み重ねで結果を出す、職人芸の世界なのかもしれない。
少々残念に思ったのは、かなり大掛かりな撮影やCGをふんだんに使ったスペクタクル・シーンの「画面の迫力」が今一つに感じられたこと。タイタニックが普通に航行しているところをカメラがナメて鳥瞰するシーンなどには結構迫力を感じたのだが、タイタニックが壊れたり沈んだりするシーンにはあまり迫力が感じられなかった。後者には、タイタニックの「大きさ」を強調する工夫が足りなかったのじゃないかと思う。唯一、船首から沈み始めたタイタニックの船尾が海面に持ち上がったところを後ろから見て、横長のスクリーン一杯に船尾とスクリューが大写しになるカットにはかなりの迫力を感じたのだが。
CGに関して言えば、以前よりかなり進歩したなあ、とは思えるものの、まだまだ不満な点はある。以前は軽視されていた質感に関しても合成に関してもかなりイイ線まで行っていて、もはやどこがCGでどこが実写かを見分けることは難しくなっているのだけれど、「CG合成画面っぽい画面のトーン」というものはまだ確かに存在しているように思う。これはちょっと説明が難しいのだけど、光量不足でピンボケの写真をコンピュータ上のフィルタでソフト的に修正した結果のような、何となく白々しい感じの画面が随所に見られるのだ。これは恐らくCG画面と実写画面を合成した際の境目や違和感を取り除くための処理を施した結果なのだと思う。もちろん、明らかに合成による違和感が目立ってしまう画面よりはこのほうがマシなわけだが、今後はこの辺りに関しても対策が進められることを期待したい。
私は個人的に、こういうトラディショナルなエンターテイメントに撤した作品を手放しで賞賛する気にはなれないのだけど、それでも「三時間を長く感じなかった」という事実は強調しておく価値があると思う。「映画は芸術だ。芸術性のない映画なんて映画じゃない。」という考えの人には、この作品を勧めることは出来ない。けれど、それ以外の人にはとりあえずお勧めしてしまおう。正直言って首をかしげたくなる部分もなくはないのだけど、きっと非常に多くの人がこの作品を楽しめると思う。一見の価値はあるのじゃないだろうか。