【映画の感想】

『プリンス・オブ・エジプト』
★★★

 ドリームワークス初のセルアニメ。結局『ANTS』は観に行かなかったので、私としてはドリームワークスのアニメ作品を観るのはこれが初めてということになる。…が、異様なほどに違和感がない。20世紀FOXの『アナスタシア』以上に、ディズニーの作品と見分けがつかない。アメリカでアニメ映画を作ると必ずこうなっちゃうというのはかなり閉塞的な印象を受けるが、逆に日本ではこういうミュージカルアニメが作られることはまずないだろうとも思うし、どっちもどっちではあるのかもしれない。

 映像的には、かなり良く出来ていると思う。CGがふんだんに使われていて、場面によってはやはりCGっぽい違和感が拭えなかったりもするのだが、コンピュータによるペインティングをうまく織り込んで画面を馴染ませているところが好感触だった。個人的にはもう少し、CG部分をセルアニメの方に歩み寄らせる工夫が欲しい気はするのだが。

 題材は、モーセを主人公とした、ヘブライ人のエジプト脱出のストーリー。映画『十戒』のアレである。私はキリスト教系の中学に通った経験がありながら旧約聖書をマトモに読んだことがないので細部の批評は出来ないが、人間ドラマとしてはなかなか面白い仕上がりになっているように思えた。モーセとラミセスの感情の絡みなどは、単純ではあるけれど、割と深みのある演出で見せてくれる。
 だがそれだけに、「神」が出て来ることによって各所のバランスが大きく崩れ、説得力も大方を失い、かなりぶち壊しになっているように思えた。元々そういう話なんだから仕方のないことだとわかってはいても、ドラマ性が盛り上がっているだけに惜しいと思えてしまうのだ。
 この作品で描かれる「神」は、私から見ると、もー、完全に無茶である。エジプトが傾くほどの疫災をもたらしたり、海をぶち割ったりすることが出来るクセに、ラミセスを説得するためにはモーセを差し向けねばならず、しかもそれを助けるためにすることと言ったら当初はセコイこけおどしばかり。大体、そうまでして「我が民」を解放したいと思っているのなら、なぜそもそも「我が民」が奴隷になることを許したのか。
 いやそれ以前に、私なんぞはまず「神って民族毎にいるわけ?」と驚いてしまう。そして、「我が民」が解放されれば、他の民はどーなってもいいわけ?この作品でモーセが育ての父であるファラオに背くのは、ファラオがヘブライ人の子供を虐殺した事実を知ったからなのだが、後にヘブライ人の神は、「我が民」を解放するためにエジプト人に対して同じことをするのだ。それによってモーセが嘆き悲しむ描写が一応あったりはするが、これってつまり「目には目を」で報復を正当化し、結局は宗教戦争をけしかけているようなもので、かなりヤバイことなんじゃないだろうか。こういうのを見ると、私としてはどうしても「やっぱり宗教って諸悪の根源なんじゃ?」という思いにとらわれてしまう。
 そもそも旧約聖書からそういう話を引っ張って来て作ったものなんだから「神」に関して無茶なのは当たり前だし、あまり目くじら立てるのも馬鹿らしいとは思うのだが、こういうストーリーが何の抵抗もなく受け入れられてしまう土壌というものがあるのだとすれば、どうしても空恐ろしさを感じずにはいられない。

 そんなことをつらつらと考えていて思ったのだが、キリスト教(やユダヤ教?)を信仰する人たちにとっては、聖書の中のストーリーは決してファンタジーではなく「歴史」であって、つまりは我々日本人が織田信長と豊臣秀吉のストーリーに対するのと同じような感覚で、神とモーセのストーリーに接しているのだろうか。もちろん全てが完全な事実というわけではなく、かなり作られた部分がありそうだという認識はあるのだろうが、それを言うなら織田信長と豊臣秀吉だって同じことだ。大岡越前や宮本武蔵の例だってあるし。
 そんな風に考えると余計に恐ろしくなって来る一方で、怖がってばかりもいられない、ある意味面白さのようなものも感じ始めたりする。国の違い、民族の違い、文化の違い、そして宗教の違いといった問題の根の深さを、少しだけ垣間見たような気がする。この作品を観てそんなものを垣間見るべきなのかどうかは、よくわからないけれど。

1999/08/27
『プリンス・オブ・エジプト』
監督:ブレンダ・チャップマン/スティーブ・ヒックナー/サイモン・ウェルズ
制作総指揮:ジェフリー・カッツェンバーグ
製作:ペニー・フィンケルマン・コックス/サンドラ・ラビンス

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