意外に小ぢんまりした作品だったな、というのが、観終わっての率直な感想。スタンリー・キューブリック監督の遺作であることや、日本のメジャー公開映画としては異例のR18指定であることなどから巷では刺激的な内容を期待した盛り上がりがあったようだが、そういったものはほぼ裏切られたのじゃないだろうか。もっとも、それはむやみにそういう期待をした方が悪いのだとは思うが。
この作品のテーマは、性(セックス)と性行為(ファック)と妄想である。そして、それらの要素は本来誰にでも身近に、かつ切実な問題としてあるもので、普段は目を逸らしているだけなのだ、というのが主なメッセージになっている。つまりこの作品はそもそも、誰でも身近に感じられる問題を丁寧に扱った、地味な映画なのだ。そこを勘違いして観ると、ガッカリしてしまうだろう。
丁寧という意味では、この作品のつくりは隅から隅まで非常に丁寧だ。じっくりと練って作られていることが伝わって来るし、決して急がず観客を少しずつ引っ張って行こうという意図も感じられる。画面もしっとりとした映りで、全てが実に落ちついている。しかし、私にはそれらが「ちょっとやり過ぎ」に感じられた。全てが落ち着き過ぎていて、心を大きく動かされないのだ。じっくり伝わって来る会話や演出も、ここまで来ると「タルい」「しつこい」という印象が出て来てしまう。結果的に、上映時間の長さの割には内容が薄いように思えてしまった。
一番残念なのは、主人公夫妻のキャラクターの魅力がほとんど感じられなかったこと。とくに妻の方は心の動きが全く伝わって来なくて、結果としては何を考えているのか全く解らないイヤラシイ女という見方も成り立ってしまいそうに思える。夫の方はとにかく健全なアメリカ男性という設定なのだと思うが、ここまで徹底しているとほとんど愚鈍に見えて来る。「愚鈍なまでに健全なアメリカ男性」をトム・クルーズに演じさせるのがキューブリック監督一流の辛辣な皮肉なんじゃないだろうか、などとまで考えてしまうほどだ。もしこの二人のキャラクターが魅力的に感じられたなら、作品全体の「タルい」「しつこい」「内容が薄い」という印象も大きく変わったのではないかと思う。もしかするとこれって大変なミスキャストなんじゃないかと思えたりもするのだが、それなら誰にやらせれば良かったのかと言われると全く見当もつかないので、あまり強いことは言えない。
観客の安易な期待を裏切ることを得意としていたキューブリック監督のことだから、この映画もキャスティングを含めてセンセーショナルな要素をふんだんに用意して観客の下衆な期待を盛り上げたところへ地味で身近な作品を見せて足許をすくい、アカンベーをしてるんじゃないか、もしかするとそれが最大の目的だったんじゃないか、などと考えてしまったりもする。多分考え過ぎなのだろうとは思うけれど。