懐かしい…。いや、別に沖田十三になったつもりはないのだけれど、とにかく全てが懐かしい。もちろんオープニングのテーマ音楽とか背景説明の字幕が画面奥へ向かって流れて行く様とかを見てまずそう思うのだが、結局最初から最後までそのまま「懐かしい」で終わってしまった。
とにかくもう、徹頭徹尾「スター・ウォーズ」なのだ。ストーリーから登場するキャラクター、リズム感、カメラワークと画面の作り方、そしてワイプの手法まで、全部が全部、昔のまんま。ここまで来ると、もうわざとやっているとしか思えなくなって来る。もちろん現在のCG技術を駆使して作られた(のであろう)特撮は昔の作品よりもキレイに仕上がっているし、それなりに迫力もあるのだが、とくにそれが素晴らしいという程ではない。むしろ、そうして描き出されるのが「あの」スターウォーズの世界であることに改めて気付かされ、「ああ、こうだったよな」と納得させられる感慨の方が大きい。有無を言わさぬ人工重力だの反重力だのはヒョイヒョイ使われているクセに焼けこげたエンジンからは黒い煤が吐き出されるという独特のメカメカしい感覚は、やはりある種の快感を呼び起こしてくれる。
私はたまたま機会があってつい最近『スターウォーズ(特別編)』三本をビデオで見直していたのだが、そこからの流れでこの作品を見ても、拍子抜けするくらいに全く違和感がない。はっきり言ってしまえば、どこにも目新しいところはないし、特筆すべきところもない。ただ単に、スターウォーズの名を冠して恥ずかしくないスターウォーズたる映画が、またスターウォーズとして作られたというだけのことなのだ。そこに価値を見いだすかどうかは、人それぞれだろう。私は第一作(つまりエピソードIV)を子供の頃に観て感銘を受けたクチでもあるし、ぜひとも九作全て完成させて欲しいと思っているので、この作品の存在意義を認めることにやぶさかではない。
しかし、正直言って私はこの作品をあまり好きにはなれなかった。どうも色々な部分で、悪い意味での「子供だまし」が目立つ気がする。
私は過去三作品(エピソードIVからVI)の中では『ジェダイの復讐』の出来が群を抜いて悪いと思っている。表面的なエンターテイメント性を強調するあまり、物語や物語世界に対する取り組みの姿勢が崩れてしまっていた気がするからだ。そして、この作品ではさらにそれがヒドイ。
一番目立つのは、残酷な描写が一切排除されていること。いや、残酷な描写どころか、「悲惨な描写」すら一切出て来ない。もちろん元々そういう作品であれば全然構わないのだが、この作品は仮にも戦争を描いていて、物語の中では人も沢山死んでいるのだ。それなのに、そういった描写が全くと言っていいほど出て来ない。惑星ナブーは侵略を受け、「民が苦しめられている」「沢山の犠牲者が出ている」ということで女王アミダラは苦しむのだが、一体誰がどこでどんな風に苦しめられているのか、全く描かれない。それどころか、ラストの大団円の場面までナブーの「民」が一人も出て来ないのだ。そして、皮肉にも侵略側の通商連合にも似たことが言える。通商連合の兵士はほとんど全部がドロイドで、他には親玉とか幹部らしき数人のエイリアンしか出て来ない。ジェダイにバシバシと切り倒されたりアナキン少年に機関砲でぶっ飛ばされたりしても問題がないようにそういう設定にしたのだろうが、それにしたって仮にもこれだけの勢力を持つ「連合」のはずなのに、これではどうしてもどこかの酔狂な星から来た凶悪エイリアンとその軍団、という風にしか見えない。双方がそんな具合に説得力皆無なので、その戦いを見せられてもこちらとしては何をどう考えて見ればいいのか、という感じになってしまうのだ。
そんな中で、ドロイドの他には唯一次々と打ち倒されて行く描写があったのが、惑星ナブーの先住民族と思われるグンガ族(だったと思う)の戦士たち。だが、彼らの勇敢かつ悲壮な戦闘は、まるでワーナー・ブラザーズのカートゥーン・アニメのようにユーモラスに描かれる。これではまるで、「原始的な異形の種族なんだから、ガンガン死んでも全く問題なし。もちろん人間だとまずいけどね」と言われているようで、私としては腹立たしさすら覚えた。彼らは人間じゃないわけ?『ジェダイの復讐』のイウォーク族には、多少なりとも「残酷で悲しい」描写が用意されていたのだが…。
もう一つ感じたのは、本筋に関係のない「お遊び」ばかりが妙に大きく、前面に押し出されているということ。もちろん、本筋から脇道に逸れてなかなか戻って来ないというストーリー展開もアリだとは思うのだが、この作品の場合、それがそういうストーリー展開なのではなく単なる「お遊び」なのだという印象が非常に強いのだ。水中でのモンスターとの遭遇からアナキンのポッド・レースまで、やたらとそういう印象が目につく。どうも私は、お遊びをお遊びとして目の前に出されると、それを素直に楽しめないタチらしい。最初からお遊びだけの作品ならそうではないのだが、一応本筋としてのストーリーのある作品だったら、お遊びの要素はもっとうまくストーリーの中に織り込んで、納得した上で楽しませてほしいと思うのだ。
逆に、前の三作品よりも確実に良くなったと思えたのは、ライトセイヴァーを使った殺陣。前の三作品で一番不満だったのがこの点で、せっかくのジェダイの騎士の戦いが、チャンバラ時代劇の華麗な殺陣を見慣れた目には学芸会のお遊戯にしか見えず、当時小学生だった私ですらかなり歯がゆく感じたものだが、今回はこれがかなり改善されている。と言っても日本のチャンバラの迫力に近づいたわけではなく、香港のカンフー映画の躍動感とスピード感を取り入れた感じに仕上がっている。だから相変わらず「剣技」としての緊張感や緊迫感などはまるでなく、それについての不満は残っているのだが、それでもこれは大進歩だと思う。そもそもライトセイヴァーを使ったチャンバラというのは、それだけでかなり独特の迫力を持っているのだから、これからもっともっとクオリティが上がって行けば、映画史に残るようなアクションシーンが生まれるのではないかと思う。今後の作品に期待したい。
…というわけで、つまるところ私は何だかんだと言いながら、このシリーズの作品は可能な限り全てを観ると思う。そうして全九作品を観終わった時、「やっぱり、エピソードIの出来が一番悪かったよな」と言えることを切に願っている。