「マンガの神様」手塚治虫初期の代表作を、敢えて今映画化したという作品。単純に昔の作品からネタを漁っているだけとも思える安易なリメイクものが氾濫している昨今だが、とりあえずこの作品はそれらと一線を画しているように思えたので、ちょっと期待して観に行った。
一見してまず、非常に丁寧に作られた作品だな、という印象を受けた。画面も演出も脚本も、全てにおいてしっかりと地に足がついているという感じ。とくに、カラフルでありながら彩度を抑え目にした落ち着いたトーンの画面は好印象。それが、CGとセルアニメの合成による違和感を低減するのにも役立っている。作品を通して、CGとセルと筆描き背景の融合はかなりうまく行っているように思える。ようやくここまで来たか、という感慨もあるのだが、それでもまだCGが浮いているという違和感は確実に残っている。もう一歩か二歩、なのだろうと思う。
内容的にも全体にしっかりした印象があるのだが、観終わっての率直な感想としては、どうも食い足りない感が残る。物語世界に没入して感動させられてしまう、という感覚がないのだ。恐らくこれは、製作者側の意図したことなのだと思う。この作品からは、終始ドライな空気が発散されている。現代の基準からはあまり魅力的な人物設定がなされているとは言えない主人公のケンイチを敢えてそのまま、それもかなり突き放したやり方で描いて、観客の感情移入を半ば拒絶していること、アクションシーンや戦闘シーンに敢えて落ち着いた音楽を使って、普通の意味での「盛り上がり」を排除していること、重要なシーンも敢えて派手なカット割りや大仰な演出を使わずにサラリと描いていることなど、とにかく「観客を引き込む」ことを敢えて拒否した作り方がなされているのだ。それは、単純に主人公の身に起きることに一喜一憂するのではなく、メトロポリスという街やそこに住む人やロボット、つまりは社会全体や世界観とそこで起きることに対して心動かされて欲しいという、製作者側の狙いなのだと私には思えた。それは非常に真っ当だし個人的にも好きな方向性なのだが、正直言ってこの作品においてはそれが今一つ成功しているとは言い難いように思える。
まず疑問なのは、主人公ケンイチやヒロイン(?)ティマに関しては上記のように一歩引いた扱いがなされているのに対して、敵役(?)のロックに関しては意外な程しっかりと人物が描かれ、また積極的に動かされていること。まるで「ケンイチやティマではなくロックの方に感情移入してくれ」と言われているようだ。これは上記の「狙い」(と私が考える方向性)とは明らかに相反しているし、製作者側がこういうバランスを意図しているとはちょっと考えにくい。原作には登場しないところを敢えて出演させたロックを動かすのが面白くて、少々暴走してしまったのではないかとすら思える。
逆にロック以外の主要人物に関しては、概ね首尾一貫して「一歩引いた」描き方が徹底されているのだが、それだけにそれぞれのキャラクターの感情や、行動に対するモチベーションが伝わって来にくくなってしまっている。ケンイチやティマもそうだが、悪役たるレッド公も結局のところどんな衝動から何をどうしたかったのかというところが素直には伝わって来ないので、ストーリー自体が何となく「人間ドラマとしてのエネルギーを欠いた社会ドラマ」といった印象になってしまう。安易に人間ドラマを前面に押し出すことを嫌う狙いはわかるのだが、やはりどうも、惜しいような気がする。
ロック以外では主要キャラの中で唯一ヒゲオヤジの人物がわかりやすく描かれていたが、助手であり甥でもあるケンイチが行方不明になっても全く動揺することなく忠実に職務を遂行しようとするかなりハードボイルドなキャラクターであるため、印象はやはりドライだったりする。
結局のところ、「徹頭徹尾ドライでハードボイルドな社会ドラマ」を極端な形で表現するところまで踏み切れなかったため、どっちつかずで少々中途半端な仕上がりになってしまったということのような気がする。旧来型の人間ドラマを完全に否定して描くところまで思い切れなかったのなら、逆にもう少し人間ドラマあるいは人情話のウェットな要素を効果的に使う方向で考えて欲しかった、と個人的な好みとして強く思う。各所に見られる細かな演出はなかなか効果的に機能しているし、全体としても非常に丁寧にまとまり良く仕上がっていると思えるので、余計にそう感じる。
とは言え、私はこの作品に対して好き嫌いの札を挙げるとしたら、迷わず「好き」の方を選ぶ。ドラマとして食い足りない、耽溺出来ないという印象はあるものの、作品全体から「安易には作っていない」という気概のようなものを感じるからだ。この作品からは、小手先の技術ではなく、真剣勝負で作られた作品としてのパワーを感じる。それはとても貴重だと思うし、それがある限り日本のクリエイティビティは大丈夫、という気もする。