【映画の感想】

『A.I.』
★★★

 スタンリー・キューブリック氏の企画をスティーブン・スピルバーグ監督が引き継いだということなどから、非常に大きな話題になった作品。私としては、同じ「ロボットと人間」というテーマの扱い方の違いを『メトロポリス』と比較したら面白いだろうと思って、ある意味意地悪な期待も持って観に行った。しかし、結果としてそういう趣向での比較にはならなかった。『メトロポリス』はクールな描き方で社会ドラマとしての物語性を前面に出していたし、『A.I.』の方はSF仕立てのおとぎ話としての物語性を前面に出しているという次第で、どちらも「ロボットと人間」テーマを正面から掘り下げることはしていないのだ。それでもまだ『メトロポリス』の方は穿って見ればそういう方向からも考えられるところはありそうだが、『A.I.』の方にはそういう余地がほとんどない。結果として、「手塚治虫&ジャパニメーション世界 対 スピルバーグ&欧米SFファンタジー」の構図を野次馬的に期待していた私は完全に肩透かしを食わされた恰好だ。

 というわけで、私が勝手に思い描いていた「対決の構図」はポイして、単純に作品としての感想を。
 前述の通り、この作品は完全に「おとぎ話」である。設定やストーリーはもちろん、ヴィジュアル的にもSFとしての説得力やリアリティは全くと言っていいほどない。そういう意味で、個人的にはちょっと拍子抜けの感が否めないのだが、だから出来が悪いということでは全然なく、あくまでもおとぎ話としての臨場感のようなものはしっかりと出ている。この辺りの感覚は、SFを「メカメカしいファンタジー」として捉えて世界観を創り出す『スターウォーズ』をはじめとする一連の作品に通じるものだろう。
 しかし、この作品では主人公をはじめ主要キャラがそれぞれ専業のロボットであるなど、そもそもの設定からしてあまりにもメカメカしいため、SF的な面の不備や説得力のなさが、結構大きなマイナス点になってしまっている感がある。なにしろメカというのは人間が作ったものなのだから、「そんなわけないじゃん」と思われたらそれまでという面があるのだ。これが、自然とか魔法とか、あるいは神様とかが生み出したものであれば、「ないとは言い切れない」ということにも出来るのだが。
 主人公は、「母への一途な愛をインプットされた、子供の代用品としてのロボット」という設定である。ここでまず「親にとっての子供って、そーゆーものなわけ?」という疑問が頭をもたげて来るのだが、まあそれはニーズによってはそーゆーこともあるかもしれない、ということで先へ進むと、「愛をインプットされた」主人公は、ひたすら母に愛されたい、愛されたいという欲求を示す。うーむ、「親への愛って、そーゆーものだっけ?」と疑問に思わざるをえない。まあ、「愛とは愛されたいと願うこと」なんていう歌の文句もあるくらいだし、あながち間違いだとは言い切れないのだが、やっぱりちょっと違うような気がしてしまう。そして更に、親の精神安定のために人間が作ったものであるのなら、余計にそうは作られないんじゃないか、とも考えてしまう。
 また、主人公は悪意の企みや偶然によって起きたいくつかの事件の結果「不当に」危険なロボットと見なされてしまうわけなのだが、客観的に考えると実はこれは不当ではないと結論せざるをえないのだ。主人公はロボットとしては自己防衛衝動や自己の欲求に対する能動性が異様に高く、それによって人間を傷つける可能性が大いにある(実際にやってもいる)危険なロボットなのだ。ロボット三原則を持ち出すまでもなく、SF的な見地からは「それはちょっとマズイんじゃなかろうか」と思ってしまう。
 いや、そうではない。この作品の主題はあくまでもおとぎ話としての物語であって、SF的な説得力がどーとかいうことではないのだ。…ということはもちろん理解出来るのだが、私としてはどうもその物語性が弱いように感じてしまい、その中でこの物語は観客に何を投げかけているのかということを色々と考え始めると、あちこちでSFとしての不備が目についてしまうということになるのだ。

 物語性の弱さは、結局のところラストの弱さに集約される。この作品のプロットは『ピノキオ』と『オズの魔法使い』をベースにしているとかで、要するに「母の愛を得るために人間になりたいと願う主人公が、ブルー・フェアリーを探して旅をする」というものだ。これ自体は非常に単純で、何がベースだとかいうレベルの話ですらないと思う。問題は、その結果だ。まがりなりにもSF仕立ての設定で、主人公がロボットだったりする以上は、妖精を登場させて本当に人間にしてしまうわけには行かない。かと言って、主人公の欲求は自身の存在意義と直接結びついた「変更不能」のものであり、これを変えたり逸らしたりして納得させるわけにも行かない。「万人が納得する安易なラスト」はどこにもないのだ。そこに、果たしてスピルバーグ監督(あるいはキューブリック氏)はどんなラストを用意したのか? …というのが、私のこの作品に対する最大の興味だった。正直言って、逃げ腰がさらに腰砕けしているようなロクでもないラストになっている可能性も大いにあると予想していた。
 実際に観ての感想は、「逃げ腰でも腰砕けでもないが、ちょっと曖昧」だと感じた。この難しいシチュエーションに正面から取り組んだ真摯な雰囲気は伝わって来るし、はっきり言って、予想していたよりもかなりイイ感じのラストに仕上がっていた。作品として、当然こういうのもアリだろうと思う。しかし、どんなに強引になっても物語としてしっかりと言い切ってしまうのがおとぎ話というものだと私は思っているので、その意味ではこの作品のラストは明らかに「弱い」と感じる。そのために、この作品が言いたいことを、そもそもの設定なども含めた全体から読み取ろうとするような考え方になってしまい、その結果SF的な不備が目立つし気にもなる、ということになるわけだ。

 この作品は、一部で言われているような大きなテーマを大きな視点から描いたものでは全然なく、小さな物語を真摯に描くことで結果として背景に大きなテーマをも包含する、ということを狙ったのではないかと思うのだが、残念ながらそこまでは行かなかった、というのが私の見解だ。「メカメカしいファンタジー世界で繰り広げられるおとぎ話」としてそこそこに良く出来ているとは思うので、そういう方向性に惹かれるものを感じる人は、とりあえず観ておく価値があるだろう。

 個人的に一つだけ「やられた」感があるのは、主人公のお供役として登場する「スーパー・トイ」ぬいぐるみのテディである。ダミ声で言葉少なに喋り、全編を通じてひたすら主人公のためにチョコチョコと奮闘する姿は実に健気。ラストシーンでは、主人公にではなく、主人公を見守るように座り込むテディの姿に私はグッと来てしまった。私が個人的にこういうキャラクターに弱いということは確かにあると思うが、それにしてもこの作品の中でテディは一際光っていたように感じられたのだが、どうだろう。

2001/06/30
『A.I.』
2001年 アメリカ作品
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:スティーブン・スピルバーグ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント/ジュード・ロウ/フランシス・オーコナー/ブレンダン・グリーソン

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