ある春の日の午後。
明るい森をぬけた所に広がる大きな沼のほとりに、若いカップルが一組、寄り添う仕草の中にもはにかむ気持ちを見え隠れさせて、たたずんでいた。辺りには彼と彼女の外に人影はなく、聞こえて来るのは小鳥のさえずりと、そよ風に吹かれてこすれあう木の葉がおこすかすかな音だけだった。
「きれいね。まるでおとぎの世界が絵本から抜け出して来たみたい。」
ため息をついてそう言う彼女と同じ様に、彼も目を輝かせていた。
「そうだろう?僕もこの沼の眺めに魅せられて、休みごとにここに来ていたんだ。もっとも、最近は君と会うのに忙しくて、だいぶ間が空いてしまったけど。」
彼女は少し顔を赤らめ、彼を肘で軽く小突いてみせたが、すぐまた目の前の沼に目を戻し、再びため息をついた。
「本当にきれい。深いブルーの水面の所々にエメラルド・グリーンの波が立って・・・神秘的ね。」
「これがこの沼の呼び物なんだ。どうしてそう見えるのかは判っていないんだけどね。
それについては、伝説を信じるしかないな。」
「伝説?」
「そう。この辺りに伝わる、美しくも悲しい伝説。聞きたい?」
「意地悪ね!聞きたいに決まってるじゃない。」
「あはは、それでは・・・。これはね、まだこの辺りに二つの村しかなかった頃の話なんだ。」
彼は、沼に立つ波を遠い目をして見つめ、話し始めた。
「この沼の西にある村に、小夜というとてもきれいな娘がいた。
小夜は竹笛を吹くのが好きで、畑仕事が終わるとこの沼のほとりに来て、毎日のように吹いていたんだ。
そこへある日、一人の若者が通りかかった。誠次という、東の村に住む若者だ。誠次は笛の音に聞きほれて小夜に近付いて行き、声をかけた。そして振り向いた小夜の顔を見て、一目でまいってしまったんだ。その日から誠次は毎日、小夜に会いに通って来るようになったんだ。そのうちに小夜も誠次のひとがらに惹かれるようになり、二人は恋仲になった。しかし、西の村と東の村とはとても激しくいがみあっていて、二人の結婚を許してはくれなかった。
誠次と小夜はそれぞれの村の就唖や長老を説得しようと、必死に努力を続けた。そして二年後、やっと二人の努力が実を結び、西の村と東の村との間に仲直りのきざしが見え始め、二人の結婚が許された。
だがそのすぐひと月後、はやり病で誠次があっけなくこの世を去ってしまった。
悲しみにくれた小夜は、誠次との馴れ初めとなった竹笛を手に、沼に身を投げた。
その時、竹笛に小夜の想いがこもり、一筋の緑の波となった・・・。」
「・・・悲しいお話ね。」
そう言うと彼女は、その肩にもたれるように、彼の腕を引き寄せた。
彼も彼女の方へ首を傾けて、言った。
「そうだね・・・。ほら、見てごらん。緑の波が夕日をうけて、キラキラ光ってる。小夜さんの想いが伝わって来るようだ。」
「本当に・・・。今、一緒にこうしていられる私達って、とても幸せなのね。」
「僕もそう思うよ。・・・さあ、そろそろ宿へ帰ろうか。」
「ええ。」
二人は来た時よりも一層寄り添い、夕日を浴びて、森の小径を去って行った。
その頃沼の底では怪獣ヌマゴンが、緑のヨダレを垂れ流しつつ惰眠をむさぼっていた。