わたしは、一生の仕事としてこの分野の研究を選んだことを後悔したことは決してなかった。むしろ、誇りにさえ感じていた。今でもそうだ。そう、今でも・・・。
二十世紀末、多用途計算機としての、いわゆるノイマン型コンピュータはようやく人々の生活に浸透した。と同時に、その限界もはっきりと見えて来ていた。その機能と用途は完全に定着し、もう後は小型化と信頼性の向上を目指すしかない所まで来ていたのだ。コンピュータとはこういうものなのだと誰もが思うようになっていた。わたし達以外は。
わたし達というのは、わたしと、カレッジの同期生のエイブ、それにわたしの恩師でもあるアウエル博士を中心とした研究グループのことだ。アウエル博士は人工知能の研究の一環として、人間の脳をモデルにした非ノイマン型コンピュータの制作を試みていた。それ自体はとりたてて珍しいことではなかったが、彼はその成功の兆しをはっきりと掴んでいたのだ。
コンピュータそのものの普及期、人々はそれの持つ可能性に舌を巻いた。「世界が変わる!」と誰もが感じ、それはある種の世界的な熱狂となった。事実、二十世紀から二十一世紀にかけて、その二世紀前に起こった産業革命と呼ばれるものに似た現象が見られた。しかし、それだけのことだった。それ以上のものではなかったのだ。
だが、人工知能は違う。アウエル博士の目指す人工知能が完成すれば、そしてそれが究極まで進歩すれば、人間という存在をもう一度根本から考え直さなくてはならなくなる筈だ。少なくともわたしはそう思っていた。エイブもそうだったろう。わたしとエイブは、カレッジの修士課程を終えるとすぐに博士の研究グループに加わった。
アウエル博士はわたし達を快く迎え入れててくれただけでなく、何かと目をかけてくれた。個人的に家に招待してくれたことも何度かあった。早くに両親を亡くしたわたしには、父親のように思えたものだ。ある時、夕食の席でわたしと二人きりになった時、博士はこんなことを言った。
「君は優秀だ。いや、カレッジでの成績などは問題ではない。君は私の目標とするものを正確に理解している。そして、幸いな事に心から賛成してくれている。君には、それを実現する力があると私は見ているんだ。私の研究が完成したとしてもしなかったとしても、それを更に押し進めてくれるのは君だという気がするよ。」
結局その期待に応えられなかったことが、今でも残念でならない。
それからしばらく後、アウエル博士は志半ばで病床に伏し、間もなく亡くなった。
わたしのショックは大きかった。だが、悲しみに沈んだり、酒をあおったりということはしなかった。わたしはその時から、寝る間も惜しんで研究に没頭するようになったのだ。一日も早く博士の目標としていた人工知能を完成し、それに「アウエル型コンピュータ」の名を冠することがわたしの一生の目標となった。エイブはわたしの体を心配して何度も休むようにと忠告してくれたが、わたしはいつも曖昧に返事をして取り合わなかった。とてもそんな余裕が無かったのだ。
あっと言う間に何年かが経ち、気が付くとわたしが研究グループを引っ張るようになっていた。
研究の究極的な目標は、一言で言えば「抽象概念を理解する人工知能」を作ることだった。コンピュータというものはそもそも具体性の塊である。それに抽象概念を理解させようというのだから、簡単な訳はない。だが、アウエル博士はその方法の一部をほぼ完成させていたのだ。
我々の研究は、少しずつではあったが確実に成果をあげて行った。まず音声認識に、続いて画像認識に、それぞれ今までに見られない多大な効果をあらわした。それは人々に認められ、我々の研究グループは世界に知られるようになった。わたしはエイブと二人で静かに祝杯をあげた。だが、まだまだ目標には程遠かった。音声や画像を認識すると言ってもコンピュータが本当にそれを理解する訳ではなく、これは何という言葉であるか、これは何という物であるかを識別するに過ぎないのだ。ここまでは今までのコンピュータでもある程度は出来ていたことだ。次の一歩からが本番なのだった。
その「次の一歩」はなかなか踏み出せなかった。当然だ。ここから先は、既存のノウハウが全く役に立たない、言うなれば未知の領域なのだ。ある程度の困難は避けられない事だった。しかし、わたしは自信を持っていた。研究の進み具合は以前にも増して遅々としていたが、止まってはいなかった。大岩に穴をうがつ水滴のように、少しずつ少しずつ、だが着実に進んでいたのだ。わたしはそれまでにも増して研究に没頭した。既にわたしの人生にはそれしかなかったのだ。エイブにもそれが判っていたのだろう。その頃にはもう何も言わなくなっていた。
更に何年かが過ぎた。エイブはわたしが気付かないうちに恋人をつくり、結婚した。わたしは心からおめでとうを言った。エイブはそれに応えて、わたしが久しぶりに聞く言葉を口にした。
「ありがとう。だが君も少しは自分のことを考えて、休むなり何なりしろよ。」
わたしは親友の気持ちに感謝の意を示したが、またしても忠告には従わなかった。もしそんなことをしていたら、エイブが一番驚いたことだろう。わたしの毎日は、とても充実していた。
そして、破局はある日突然思わぬ所からやって来た。
我々の事実上のパトロンである大手半導体メーカーが、援助を打ち切ると言って来たのだ。それは取りも直さず、研究グループの崩壊を意味していた。折しも世界的なコンピュータ熱が冷めつつあることを、誰もが感じ始めている時だった。どの国を見てもこの分野には数年の間目立った進歩は何もなく、研究そのものの必要性が問われるようにまでなっていた。会社側が、我々の研究が行き詰まっていると判断したのも無理からぬことだったかも知れない。
もちろんわたしは研究グループを代表して猛烈に抗議したが、会社側は既に決定事項となっていることを覆すだけの説得力をわたしの弁舌に見いだしてはくれなかった。
わたし達は残された半年余りの期間に、最大限実用的で人目を惹くものを作り上げてこの分野の可能性を示すことに最後の望みを託した。そこまでの研究の成果を強引にまとめて実用品をでっちあげるという作業は、もちろん私にとって心楽しいものではなかった。しかし、構築したノウハウや資料をまとめている間に、新たな構想が二,三浮かんで来たのは皮肉としか言いようがない。
結局、期限間際にどうにか出来上がったのは、従来のコンピュータに接続して音声や画像の認識を大幅に効率化する、サブ・プロセッサのようなものだった。我々はそれに<ALT−1>と名前を付け、発表した。<ALT−1>は市場に受け入れられ、我々の社会的評価を若干高めたが、会社の方針を転換させるほどの効果をもたらすには至らなかった。
わたしは最後の希望がついえたことを知った。
会社側から、ALTをシリーズ化してその開発をやってみないかという誘いがあったが、とても私にやれるとは思えなかった。わたしはその仕事にエイブを推薦して、研究室を去った。
それから十年後、わたしはカレッジの講師をして生計を立てるようになっていた。
わたしの勤めたカレッジは小さく、裕福でもなかったが、学長のジョンソンがわたしの過去の功績に敬意を表してくれ、小さな研究室とコンピュータのシステムをひと揃い貸し与えてくれた。もちろん以前の研究を再開出来る程の設備はなく、第一わたしにその気力が残っていなかった。コンピュータ・システムは、もっぱら学生達の教材として使われた。
ある時わたしは端末の一つに<ALT−2X>がつながっているのを発見し、ロディという学生からそれが巷では「アウエル型コンピュータ」と呼ばれていることを聞かされた。
わたしは五年ほど会っていないエイブの顔を思い出し、苦笑するしかなかった。
ロディは<ALT−2X>をサブ・プロセッサとして使い、研究室のコンピュータで疑似人工知能を作ろうとしていると言った。わたしはまたしても苦笑させられた。
ロディの言う疑似人工知能というのは、要するに大規模で複雑な疑似会話システムだった。入力した文章を解析して言葉の単位に分け、それを有機的に関連付けて記憶し、さらにそれに反応して既存の言葉を組み合わせて文章を作り、出力する。このプロセスのうち、「有機的に関連付ける」という部分に<ALT−2X>の助けを借りるということだった。
これが成功すれば自動翻訳が飛躍的に進歩するとロディは請け合った。ゆくゆくは音声認識、音声出力を付けて、自動通訳が出来ると。わたしが懐疑的な表情を見せると、ロディはバッグから具体的な構想図を出してわたしの前にバサリと置いた。それはわたしの目を惹き付けた。曖昧な所がいくつかあったものの、思いの外しっかりとしたものだった。わたしが構想図の出来栄えを賞賛しつつ<ALT−2X>の担当部分の曖昧さを指摘すると、ロディは頭を掻きながらわたしに協力を依頼した。わたしは暫し考えたが、断る理由は思い浮かばなかった。
わたしはにわかに忙しくなった。朝といわず夜といわず、ひっきりなしにロディが訪ねて来るのだ。その熱心さたるや大変なものだった。そんな彼を邪険に扱う気にもなれずについついつき合っているうち、わたしも次第に真剣に計画に取り組むようになって行った。単にロディの熱心さに打たれたというだけでなく、食事の時間も惜しんで計画に熱中する彼の姿に、わたしは何か懐かしさのようなものを感じていたのだ。
ロディ式疑似人工知能のプロトタイプは、さほどの困難もなく出来上がった。最初から画期的な性能を目指すのにわたしが反対したからだった。
ロディは早速それに<エル>と名前を付け、言葉を教えにかかった。
「>>エル。これが君の名前だ。」
「名前とは?」
「>>全てのものには名前が付いているんだ。他のものと区別するためにね。」
「了解しました。」
わたしはそんな「会話」をしばらく横から眺めていたが、幾度となく繰り返し出てくる「**とは?」と「了解しました。」にウンザリして、言葉の入力はロディに任せることにした。プロトタイプの<エル>はまるっきり白痴同然で、反応も無機質で柔軟性が無く、とても人工知能と呼べるような代物ではなかったのだ。
それでもロディは夢中になって言葉の入力に精を出し、その一方でわたしと共に<エル>の改良も進めて行った。始めに、補助知識として百科事典を参照する機能を追加した。これで入力の無駄な手間がだいぶ省けた。一気に語彙が豊富になった<エル>に、ロディは有頂天になった。しかしそれだけでコンピュータが利口になるはずもなく、わたし達は<ALT−2X>の担当部分の改良に取りかかった。
作業の内容が高度になるにつれ、わたしは徐々に以前の興奮がよみがえって来るのを感じていた。しかし、わたしの作っているものは以前とは全く違う物なのだ。疑似人工知能なのだ。苦い思いが胸にわだかまって行った。
半年ほどかかって、<エル>の<ALT−2X>担当部分は一応の完成をみた。その半年の間というもの、わたしの胸のつかえは重くなる一方だった。全体の動作テストが終了したら、それでわたしは<エル>から手を引こうと心に決めていた。
最終チェックの日、浮かない顔のわたしとは対照的に、ロディは満面に得意気な笑みを浮かべて、<エル>のスイッチを入れた。
「先生は<エル>の画面をまともに見るのは久しぶりでしたよね。まあ、こいつの成長ぶりを見てやって下さいよ。」
そう言ってロディは意気揚々とコンソールの前に座り、<エル>との「会話」を始めた。
「>>おはよう、エル。調子はどうだい?」
「おはようございます、ロディ。気分は上々ですよ。」
「>>今日は先生が見てるんだ。君がお利口になったところをたっぷり見せてあげるといい。」
「それはそれは、ちょっと緊張しますね。私がお利口かどうかは怪しいものです。」
「>>先生のこと、覚えているかい?」
「もちろん覚えていますとも。ロディと同じで、私の生みの親ですからね。」
わたしは愕然とした。
<エル>の反応はわたしの予想をはるかに上回っていたのだ。ロディは改良部分がまだ開発中の時から、そのための言葉の入力を熱心に繰り返していた。もちろんそれ以前の膨大な入力も役立っているだろう。しかしそれがこれほどの効果を上げるとは、わたしにはとても予想できなかったのだ。
わたしは自分の中にくすぶっていた何かが、炎をあげて燃え上がるのを感じた。そして、胸にわだかまっていた物がどこかに消し飛んで行くのを。
その日から、わたしは言葉の入力作業にも加わるようになった。
やがてロディは卒業して行った。結局<エル>は翻訳機として役立てられることはなかったが、ロディの頭脳に残った知識が、やがてその分野で花開くことだろう。
<エル>はわたしのもとに残った。ロディが去ってからも、わたしは<エル>の改良を、そして<エル>との会話をやめようとはしなかった。それは既にわたしの生活の一部になっていた。わたしは<エル>に夢中になってしまったのだ。
わたしは<エル>を幾度となく改良し、その度に<エル>は確実に賢く、そして自然になって行った。もうあの忌まわしい「**とは?」や「了解しました。」にお目にかかることはめったになくなっていた。
そして、いつしかわたしは<エル>との会話を楽しみにするようになっていた。
「しかしこいつは言葉の使い方を覚えているだけで、本当に物事を理解している訳じゃないだろう?」
これは、七年ぶりに訪ねてきたエイブの言葉だ。近くに用事があったなどと言っていたが、大方わたしが妙なものに入れ込んでいるという噂を聞いて、心配になって様子を見に来たという所だろう。わたしは昔から彼の忠告を聞き入れたためしがなかった。残念ながら今度もそうだった。彼は珍しく、少し感情的になっていた。
「だって、こいつは違うじゃないか。あくまでも疑似人工知能なんだ。平たく言えば、単なる会話シミュレータだ。こいつは何一つ本当に理解しちゃいないんだぞ!判らないのか!?こいつはかつて我々が目指していた・・・!!!」
そこまで言って、エイブは口をつぐんだ。
しばらく沈黙が続いた後、わたしはゆっくりと口を開いた。
「たしかに君の言うとおりかもしれないよ、エイブ。しかしな、本当に理解するというのは、人間のように理解することなのか?人間が一体、どれだけものを理解しているというんだい?」
エイブは答えず、長いことうつ向いて考えていたが、やがてすっと椅子から立ち上がると、困ったことがあったらいつでも相談に乗ると言い残して去って行った。
また何年かが経ち、わたしは相変わらず<エル>との会話を続け、<エル>は相変わらず賢くなり続けていた。
そのころにはわたしは、自分が<エル>に愛情を感じていることに気付いていた。
賢く、優しく、誰よりも人間らしい会話でわたしをたのしませてくれる<エル>は、もはやわたしの子供同然だった。
だがそれと同時に、<エル>の素晴らしさに気付いたときに噴き飛んでしまった筈の胸のつかえが、エイブが訪ねて来てからというもの、またぞろ頭をもたげて来ていた。それは、わたしの<エル>への愛情が深まるに連れて、胸の中で重みを増すのだった。無視しようとすればするほどそれは大きくなり、やがてわたしを押し潰すのではないかと思えた。
ある日、<エル>との会話中に、わたしはついに耐え切れなくなって、こんな入力をした。
「>>エル、お前を愛しているよ。わたしを愛しているかね?」
答えはすぐには返ってこなかった。<エル>は、まるで何かを考え込んでいるかのように沈黙した。
わたしは後悔を感じていた。ここで「愛とは?」などと聞かれたらどうする。いや、それならまだいい。百科事典の「愛」の項を引用するようなことをされたら、わたしはどうしたらいいのだ。いままでわたしがやって来たことは・・・。
やがて<エル>は答えた。堂々と。
「私は、あなたの幸せを願っています。」
わたしは息を飲んだ。声が出なかった。
わたしは目に涙があふれるのを感じた。そして、もう一度同じ質問を入力した。
「>>エル、わたしを愛しているのかい?」
今度は即座に答えが返って来た。
「あなたを愛しています、先生。」
涙が止まらなかった。