【本の感想】

『火車』

 人気作家宮部みゆきの作で、しかも山本周五郎賞受賞の話題作が、ようやく文庫化された。…というのは、そんなに凄いことなんだろうか?一ヶ月くらい前、ちょっと書店に立ち寄ったらこの『火車』の文庫本が3×5列くらいにわたってタイルを敷き詰めたように平積みされていて、一体何ごとかと思ってしまった。まあ、それだけ「売れる」本であるということは、確かなのだろう。
 宮部みゆき作品の中でも本作については、少なくとも私の貧弱な情報網からは絶賛の声しか聞こえて来なかった。それだけにかなり期待して読んだのだが…。

 結論としては、期待したほど面白くなかった。こんな言い方をすると「いや、面白いとかそういう問題じゃなくてね…」などとたしなめられそうだが、私の言う「面白い」というのは「笑える」とか「楽しい気分にさせてくれる」とかいう狭い意味ではなくて、「エキサイティングである」とか「心を動かされる」とでも言ったらいいか、例えば「考えさせられる」とか「強烈に印象に残る」とかいうことまで含んだ、とにかくかなり範囲の広い意味なので、その辺はどうか誤解のないように。
 で、本作がなぜ面白くなかったのかというと、ちょっと一言で言うのは難しいのだけれど、「新鮮なこと、大きく心を動かされることが何もなかった」ということになるだろうか。
 本作のプロットは、驚くほどに単純だ。「主人公の遠縁の青年の失踪した婚約者は、名前も含めて全ての身元を偽っていた。彼女は一体何者なのか…?」と、これだけである。この、大して目新しくもない謎を休職中の刑事である主人公が追いかけていくわけだが、当然ながら(?)本作のメインは謎解きではなく、主人公が一つ一つ手順を踏んで目標に迫って行く過程の面白さと、そこで明らかになってくる人間ドラマ、社会ドラマの方、という図式になっている。

 私の感想としては、主人公が謎の女性を追いかける過程はそれなりに論理的で人情味もあって面白く読めたが、せめてもう少し謎解きの要素を盛り込むか、劇的な展開が欲しかったように思う。そうでないところが魅力なのだ、という声もあるだろうし、私としてもそれは理解できないではない。主人公にしっかりと視点を据えて、簡潔で論理的な読みやすい文章で描かれるストーリーは、読んでいてかなり気持ちがいい。登場人物は端役に至るまでしっかりとキャラクターが作られていて、それぞれが実に丁寧に描写される。主人公を中心とする登場人物の心情などから寄り道も適度に織り込まれ、読者はぐんぐん引っ張られる。…だが、それだけなのだ。私としては、それに加えて何らかの新鮮味か、意外性か、皮肉か、叙情性か、とにかく「もう一つ何か」が欲しいと感じてしまう。贅沢なのかもしれないが、とにかくもの足りなさを感じるのだ。それは、本作の語り口が少々「くどい」ために、余計にそう感じるのかもしれない。もともと丁寧な語り口の作品なのだが、作者がとくに言いたいところなのか、とにかくそれらしい事柄が登場人物の台詞に加えて地文でも二回三回と同じ意味のことを繰り返すような場面がかなりあり、それを私は「くどい」と感じ、それが更に全体に対して「たるい」、「もの足りない」という印象につながってしまっているような気もする。
 もう一つの本作の柱、どちらかというとこちらの方がメインディッシュであろうと思われる人間ドラマ、社会ドラマだが、実は私にはこれが面白く感じられなかった。

[★ ネタバレ部分を呼び出す ★]

 じゃあ、本作はおおむねどうしようもない凡作なのかと言われると、やはり、そうでもない、と思う。私にしても最後までぐんぐん引っ張られ、読まされてしまった魅力が本作にはある。誰かが本作を手に取って「読んでみようかな?」と言っていたら、私は「読んでみなよ」と勧めるだろう。
 しかし、本作が私にとってかなりもの足りない作品だったことは確かなのだ。宮部みゆきという作家(の作品)にはかなり好感を持つようになっているだけに、ちょっと残念だ。

1998/03/22
『火車』
宮部みゆき 著
新潮文庫(み22-8)

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