【本の感想】

『夢奇譚』

 「映画『アイズ・ワイド・シャット』の原典」という売り文句が書店で目に入り、興味を引かれて買ってみた。70年以上前の作品でもあるし、「原作」ではなく「原典」と称していることから、きっと映画とはかなり趣の違った内容なのだろうと予想して読んでみると、これが意外に「そのまんま」だったので驚いた。
 舞台はアメリカではなくオーストリアだし、登場人物の名前も当然全て違うが、物語の大枠は全く同じで、むしろ細かい部分が違うだけという印象すらある。
 そして、正直言って私は映画よりもこちらの方が気に入った。一番の違いは、主人公の心情や思惑がよく伝わって来ること。もちろん文章で説明されているのだからよく伝わって来るのはある意味当たり前なのだが、その心の動きが非常にリアルに感じられるのだ。主人公の「誰もが普通に持っている」身勝手な思いやいやらしさ、そして弱さなどが実に自然に感じられ、それがこういうストーリーを形作って行く様に説得力がある。描写は常に主人公の側からなされているので妻に関してはそこまでわかりやすくはないが、それでもかなり人間性を感じられるように配慮されている。主人公も妻も、普通の意味での魅力的なキャラクターということではないが、人間としてとても身近に感じられるので、それだけ物語に引き込まれることにもなる。

 映画『アイズ・ワイド・シャット』の最大の問題は、やはり主人公の心の動き、とくにちょっとしたスケベ心や捨て鉢な心情など、マイナス面の心の動きがほとんど伝わって来なかったことなのだなと、この作品を読むと改めて思えて来る。どこまでも健全なアメリカ男性を体現しているようなトム・クルーズの演技では、「普通に不健全」であることが魅力の主人公に説得力を持たせることが出来なかったということなのだろうか。

1999/09/30
『夢奇譚』
アルトゥル・シュニッツラー 著
池田香代子 訳
文春文庫(シ9-1)

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