【本の感想】

『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』

 クーンツ氏の『ベストセラー小説の書き方』の中にケイン氏の作品を読むようにと書いてあったので、素直に読んでみた。なるほど、これはちょっと面白いかも。
 現在ではこの作品に「性と暴力」などという謳い文句はふさわしくないだろう。この作品が書かれた1936年当時ならいざ知らず、現在の基準から見ると、この作品の中にはとくにドギツイ表現は出て来ない。しかし、直接的な性描写とか暴力描写とかいうことではなく、文体自体に乱暴な味があり、その奥に秘められた、そこはかとないバイオレンスの風味を感じる。そして、この作品の面白いところは、根底のテーマがそのバイオレンス風味ではなく、さらにその奥にある、一見それとは相反するような何かだというところだ。それが何なのかは一言では言い表せないが、もしかすると「純愛」に近いものなのかもしれない。
 そう考えると、映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』はこの作品を下敷きにしているのかな、などと思えて来たりもする。そして、この二つの作品の共通点と相違点を考えてみたりすると、なかなか面白い。

 訳者の解説によると、どうやらこの作品は原文だとさらに際立った特徴の文体になっているらしい。いわゆる「アメリカ英語」で書かれ、それがやや乱暴で、親しみやすく、そしてリアルな雰囲気を醸し出しているということのようなのだ。この訳書を読んだ限りでは文体からそういったものはほとんど感じられなかったので、恐らくは翻訳によって抜け落ちてしまったのだと思う。ちょっと残念だ。

 翻訳と言えばもう一つ、この作品のタイトルもかなり辛いと思う。原題は「THE POSTMAN ALWAYS RINGS TWICE」。作品の中に郵便配達は出て来ないし、もちろんベルを鳴らしたりもしない。要するに象徴的なタイトルなわけだけれど、日本語の「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」では、なんだか意味不明だ。英語の「POSTMAN」なら「何かを持って来る(もたらす)者」とかいう象徴的な意味を感じやすいが、日本語の「郵便配達(夫)」だとどうしても具体的にそのものを表しているように思えてしまうのが最大の原因だろう。その辺を慮ってか、この本には著者がタイトルも含めてこの作品の書かれた経緯を語ったエッセイ「私の小説作法」を併載している。多分私も、これがなかったらタイトルに込められた意味が解らずじまいだったと思う。
 「郵便は二度のベルとともに配達される」とでもすればニュアンスは原題に近づくような気がするが、今度はこの文章自体が意味不明だ。翻訳って難しいものだなあ。

2000/05/20
『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』
ジェイムズ・M・ケイン 著
小鷹信光 訳
ハヤカワ文庫(HMケ1-1)

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