タクシーが一台、夜の街を流していた。
運転手は鼻唄まじりにハンドルを握っている。
赤信号で止まり、ふとバックミラーを覗いて、運転手は凍りついた。誰もいない筈の後部座席に、いつのまにか若い男が座っていたのである。
運転手は身体中から冷や汗がどっと噴き出すのを感じた。気が遠くなりそうな意識を必死で押しとどめて、震える声をやっとのことでしぼりだした。
「お・・・、お客さん。・・・い、いつ・・・、いつ乗ったんです?」
若い男は眉を持ち上げて、あきれたような顔をした。歳は20代前半だろう。紺のブレザーに白いワイシャツ、地味めのネクタイ。特にどうということはない。ごく普通の青年である。
「いやだなあ、たった今、すぐそこの交差点で乗ったじゃないか。からかわないでくれよ。」
声にも変わったところはない。むしろ、快活な感じさえする。
運転手は多少気を取り直した。
「ああ、そ、そうですか。すみません。・・・で、行き先はどちらで?」
「丸山墓地。」
運転手は危うく声を出す所だった。ゴクリと唾を飲み込む。
「ぼ・・・墓地・・・ですか・・・。」
「そうだよ。なるべく急いでたのむ。ほら、もう信号が青だよ。」
運転手は慌てて車を発進させた。足が震えて、ガリッといういやな音を出してしまった。
丸山墓地は郊外にある、車道を完備した大きな墓地である。昼間は子供やアベック達が半ば公園のように利用しているが、さすがに夜になると誰も近付こうとしない。なまじ大きいだけにその不気味さも比類ないものがある。
車が丸山墓地に近付くにつれて辺りの民家の明かりもまばらになり、車の通りも少なくなっていった。しかし運転手は、まわりの景色よりもバックミラーが気になって仕方がなかった。再三チラチラと盗み見ているうちに、青年と目が合った。運転手は氷の塊を飲み込んだような気がした。
青年はニッと笑った。
「何がそんなに気になるんだい?こんな時間に墓地に行くのは変だからかな?大丈夫、墓荒らしなんかしないよ。大事な用があるんだ。」
その言葉は運転手にはまるで慰めにならなかった。
やがて、車は丸山墓地の入り口に着いた。車を止め、運転手は恐る恐る後ろを振り返る。青年は相変わらずそこにいた。運転手はほっと胸をなで下ろす。
「入ってくれ。」
運転手はめまいがした。今すぐここから逃げたしたいが、まともに走れそうにない。
「入るん・・・ですか・・・?」
「いいじゃないか。ここまで来たんだから、ついでにたのむよ。」
運転手はふたたび車を発進させた。
墓地の中には街灯もなく、暗闇の中では全てのものが不気味に見えた。
「そこを右に曲がって、五つめの墓の前で停めてくれ。」
運転手は観念して青年の指示にしたがった。
「はい、ここでいいん・・・・・・・。」
青年はそこにいなかった。
運転手は頭から水をかぶった感じがした。事実、冷や汗で身体中がぐっしょりと濡れいた。運転手はシートにどっと身をもたせかけ、震える手でタバコをさがし、火をつけた。大きな声で独り言をつぶやく。
「はは、は・・・。やっぱり、な。・・・こうなるような気がしてたんだ。はは。なんてことはない・・・。よくある話じゃないか・・・。ははは・・・。」
ドン。
後ろのドアに何かがぶつかるような音がした。
運転手は顔面蒼白になって振り向く。窓には何も見えない。
気のせいか、と思い始めた頃、ふたたび同じ音がした。
ドン。
「・・・だ・・・、だれです?」
数秒間があいた後、答えがあった。
「ぼくだよ・・・。」
それは先程の青年の声のようだった。しかし、その声は打って変わって弱々しく、発音もはっきりしていなかった。
「し、しかし、何も見えませんが・・・。」
「ドアのところにいるよ。ちょっと立てないんだ。はやく開けてくれよ。今度はぼくの家へ行ってくれ。」
「立てないって、どうして・・・?」
「ちょっと、足が腐っちゃってるんでね・・・。」