ショートショート作品 No.026

『夢の狭間』

 聞き覚えのある声がした。
 ズームレンズで画像が急激にロング・ショットにうつるよな感覚とともに、体中の感覚が一気に戻ってきた。
 一瞬真っ白になった頭の中に明確な意識と状況の認識が沸いて来て、耳元でがなりたてている声が枕元の留守番電話から出ていることを理解するまでに、もう少し時間がかかった。
「おーい、いい加減に起きろぉ!そこで寝てることは分かってんだぞぉ!」
「んあぁ・・・」
 まったく宮田のやつにはかなわない。つき合いが長いせいで、おれについてはおれよりよく知っている。
 遠近感のはっきりしない視覚と力の入らない右手の触覚を総動員して、おれはどうにか受話器を取った。とたんに宮田の一段と大きな声がこめかみに響いた。
「やぁっと観念したか!!早いところ支度して出て来い!!」
「・・・んあんだ?」
 意識はだいぶはっきりしたが、発声器官はまだ寝ぼけているらしい。
「あんだじゃねーよ。今日は山内たちと<リル>に行くって言ってたろうが。」
「ああ・・・そうだっけ・・・?」
 そういえば、そうだったような気がする。
「かんべんしてくれよぉ。おれが電話しなかったらそのまま寝てたわけ?しっかりしろよな!いつものとこに30分後だ。いいな!?」
「ああ・・・、OK。・・・わかった。」
 受話器を置くと、体の芯から脱力感が襲ってきた。急に目を覚ますということは、一時的に大量のエネルギーを消費するようだ。
 体のエンジンになかなか火が入らず、ベッドから出る決心をつけかねている時、頭の中に妙な感覚が残っていることに気が付いた。特に珍しいことじゃあない。今まで見ていた夢の記憶だ。詳しい部分は目が覚めると同時に消えてしまって、漠然とした感覚だけが残っている。夢の中の情景まで覚えていることもたまにはあるが、こういう目覚め方をした時は大抵こんな感じだ。
 ただ、今日のは特に妙な感じがした。強烈な違和感というか非現実感が、変に生々しく残っているのだ。自分でもなんだかよく解らない。強いて言えば、子供の頃、SF映画を観た日の晩に自分が宇宙船のパイロットになった夢を見て、翌日ずっとその感覚が残っていた、あんな感じだ。ただ違うのは、あの時のように心が浮き立っている訳ではないということだ。
 まあ、それはそれとして、いつまでもよく解らない夢の余韻に浸っている訳にもいかない。口では何だかんだといっていても、宮田は最近沈みがちなおれを気遣って誘ってくれたのだ。おれとしてもあまり待たせたくはない。
 おれは心と体の両方に勢いをつけてベッドから跳び降りた。
 シャワーを浴びて身支度を整えるのに20分かかった。「いつもの所」、つまり喫茶店<翼>までは歩いて15分。少し急がなければならない。
 3月とはいえ風は頬に冷たかった。まだ夕方と言える時間だが、空には星がまたたき始めていた。青空が星空に変わって行くところだ。見上げると、うっとおしい天井が消えて行くような気がして、不思議な解放感に包まれた。
 おれは何だか気分が良くなり、上着のポケットに両手を突っ込み、肩を突っ張って小走りでトットコと人気のない道を進んだ。
 調子良く無造作に道路を横断しようとした時、おれは既にまばゆいライトの光芒の中にいた。
 急ブレーキの音が周囲の空気を切り裂いた。

 聞き覚えのある声がした。
 まぶたの裏の赤みと頬に感じるぬくもりで、太陽を感じた。
 目を開けると同時に、嗅覚が戻ってきた。懐かしい砂漠の臭いがした。
 首を巡らせると、聞き覚えのある声の主、見なれた顔のアスケスが剣を手にしてこちらを見ていた。
「いやによく寝ていたな。姫の夢でもみていたか。」
 そう言ってアスケスは笑った。
「いや・・・。」
 おれの頭は冴えなかった。
 夢。そう、確かに夢を見ていたようだ。それも、ひどく現実ばなれした夢を。漠然とした違和感がまだ残っている。砂漠の臭いを嗅ぐのが、とても久しぶりのような気がするのだ。少なくともここ5日ほどはずっと砂漠にいるというのに・・・。
「なんだ、まだ寝惚けているのか?まあ、旅の疲れが出たんだろうな。しかし、竜の谷を目の前にしてそれだけぐっすり眠れるとは見上げたもんだ。おれなぞ緊張でほとんど眠れなかった。」
 アスケスはあくびをして見せた。
 おれは笑いを返すと支度を始めた。寝惚けている場合ではない。おれとアスケスには使命があるのだ。命賭けの、重大な使命が。
 おれは愛剣<サストーン>を腰にしっかりと縛り付けた。
 竜の谷は深く、そして広大だった。
 なだらかな斜面とほとんど垂直に切り立った絶壁を、交互に何度も降りて行かなくてはならなかった。足掛りになる岩は脆く、行程は難を極めた。そこはまさに人が足を踏み入れるのを拒む、不可侵の土地だった。
 しかし、ためらってはいられない。覚悟は城を出るときにつけてある。
 予言書に記されている通りに王妃が病の床に伏した以上、今ドラゴンを倒さなければ国の滅亡の危険もある。もはや予言書の信頼度を論議している場合ではないのだ。今こそ勇者として王の信頼に応えなければならない。また、英雄として国中に名を轟かせ、歴史にその名を残すのは男として最大の名誉であり、おれの一生の夢でもあるのだ。
 ようやく谷の最深部にアスケスと共に降り立った時は、既に夕刻になっていた。
 二人とも全身汗とホコリにまみれさすがに疲労を隠せなかったが、目前にそそり立つ岩肌にポッカリと口を開け漆黒の闇をたたえた巨大な洞窟が、いやが上にも緊張を高めた。辺りには風の音だけが響いていた。
 何かの気配を感じた。
 いや、それは気配などという生やさしいものではなく、おれの全身を痺れさせるのに充分な、もはや瘴気ともいえるような濃厚な敵意の照射だった。
 おれとアスケスは背筋の凍るような戦慄を覚え、相継いで剣を抜いた。
 洞窟の奥から低い地鳴りのような唸り声が聴こえたかと思うと、突然闇に二つの赤い光が灯った。明らかに炎とは異なるその光は急速におれたちの方へ迫ってきて、ドラゴンの目になった。
 おれたちは咄嗟に左右に跳び退いた。
 ゴウという音とともに嵐のような風をまき起こして、今まさにドラゴンが踊り出して来た。
 おれはしばし棒立ちになった。今初めて目の当りにするドラゴンの姿に気押されてしまったのだ。それは、伝え聞いて想像していたものとはまるで違っていた。鈍重なトカゲの化け物などでは全くなく、それはドラゴン以外の何者でもなかった。鋭い牙と爪、しなやかな姿態、長くたくましい尾、背中の巨大な翼。その躯全体が、圧倒的な精悍さを放っていた。そして獲物を射抜く魔力をたたえた真紅の瞳は、あまりの禍々しさにかえって神秘的な光を感じさせた。
「うあああああ!」
 絶叫とともにアスケスが剣をかざして飛びかかって行った。
 振り向いたドラゴンの目を狙って剣が振り下ろされたが、寸前で固い爪に阻まれた。その衝撃でアスケスは弾き飛ばされ、地面に投げ出された。
 ドラゴンの注意がアスケスに向いた一瞬の隙を突こうと、おれは後ろ足に切りかかって行った。
 愛剣<サストーン>が空気を切り裂く独特のピュンという音が聴こえるより先に、アスケスの叫びが耳に入った。
「あぶない!」
 その声の意味を理解するかしないうちに、頭上から巨大な尾がうなりをあげて迫って来るのに気が付いた。
 既に避けようがなかった。

 聞き覚えのある声がした。
 おれはハッと目を開けた。とたんに、自分の全身の緊張に気が付いた。息をするのも忘れていたようだった。
 ホッ息を吐くと、体中に噴き出していた汗が一斉に引いて行くような気がした。
 特に意識した訳ではなく、おれは自然にひとつ深呼吸をした。
 おれを緊張させた夢の記憶はどこかへ消し飛んでしまっていた。緊急事態に遭遇した夢でも見ていたのかと考えてみたが、どうも納得がいかなかった。少し感覚がズレている。リアリティーがないというよりも、別のリアリティーが周りを包んでいたような感じだ。エイリアンでも出て来たのだろうか。それに近いような気がしたが、そこでバカらしくなって考えるのをやめてしまった。
 周りに注意を向ける余裕が出来ると、天井のスピーカーから雑音混じりの耳慣れた声が響いていることに気が付いた。
「ほらほら、早いとこおっきしな。楽しい楽しい点検の時間だよっ。」
 このサウカというエイジアの男は、この船に乗り組む直前の最終訓練期間に知り合ったばかりだというのに、いやになれなれしい。だがおれの方も特にそれが不快という訳ではなく、なんだか古くからの親友のように思えて来ているから不思議だ。もっとも、同じ船に二人きりで木星を目指してかれこれ3カ月にもなるんだから、当然と言えば当然かも知れない。
 おれは壁のスイッチを押して応えた。
「OK、起きたよ。おめめパッチリだ。5分で行く。」
「よしよし、いい子だ。今朝はぐずらなかったな。おいしいミルクを用意しといてやるよ。ママのおっぱいは無いがね。以上。」
 そう言い終ると、スピーカーはブツリという音を発して静かになった。どうもこいつは出発当初から調子が悪い。いいかげん取り替えなければいけないのだが、面倒臭くてそのままになっている。きっちりとコンピュータで制御されたこの宇宙船の中で、ちょっとしたご愛敬になっていることも事実だ。
 5分よりも少し遅れておれがメイン・デッキに着くと、やたらと長いプリンター用紙と格闘していたサウカはうなるように言った。
「ミルクはそこだ。それとな・・・、どうやら今回の点検は延期だ。」
 あたたかいミルクを口に運びかけていたおれは、事態を察してげんなりとなった。
「またか・・・。いいかげんにしてもらいたいな。」
「おれに嫌な顔したって始まらんだろう。宇宙に石ころをばら撒いたのはおれじゃないんだぜ。」
「お前さんがばら撒いたんだったらとっくに締め殺してるところだよ。この前やられたCー4ハッチの修理にどれだけ苦労したと思ってるんだ。」
「まあ、観念するしかないな。アステロイド・ベルトの石ころは、どんな掃除機だって吸い取り切れないだろうさ。ほれ、お仕事が待ってるぜ。」
 おれはため息をひとつつき、シートにドサリと腰を下ろした。
 おれたちの乗ったヘリウム採取船は、またぞろ石ころの密集宙域にぶつかってしまう訳だ。一体これで何回目なのか、数えるのも面倒臭い。とにかく速度を落し、航路を微調整し、あとはただひたすら船外修理などする破目にならないように祈るだけだ。
「そうら、そろそろおいでなすったぞ。」
 すっかり準備が整った頃、単距離レーダーを覗き込んでいたサウカが舌なめずりをして言った。彼なりに緊張している証拠だ。
 見ると、ごく小さな光点がチラチラと見え隠れし出していた。船体にはレーダーに写らないような、小さなジャリのような石ころがパシパシと当り始めているはずだ。
 おれには閉所恐怖症の気はないが、さすがにこういう状態では閉塞空間特有の圧迫感を感じる。時折ゴツンという振動が伝わってくるような気がするのは、多分気のせいなのだろう。
 そんな不快な時間がしばらく続きおれのイライラもだいぶ興が乗ってきた頃、不意にコンソールのスピーカーからブザー音が響いた。レッド・ランプが点滅している。ディスプレイの表示を切り替えてみると、Bブロックの3番エンジンの外壁が損傷したので機能を停止したということだった。
「こりゃまた、よりにもよって、イヤな所をやられたもんだな。」
 振り返ると、背後にサウカの渋面があった。
 次の航路修正が3時間後に迫っているのだ。B−3エンジンは姿勢制御用の小型エンジンで不可欠という訳ではないが、使えないとなると微調整にえらく手間取ることになる。航路修正前の点検を延期してしまったことだし、修理するなら急がなければならない。
「仕方ない。例によっておんもで大工仕事をしてくるよ。」
 おれはため息まじりに笑って見せた。
 サウカは眉をよせた。
「そりゃまあ止めはしないが、まだ安全宙域に出た訳じゃないからな。」
「薄情なやつだな。お前さんがB−3なしでピタリと航路修正を決めてくれるってんなら、おれは喜んでここに居残るんだぜ。」
 サウカは頭を掻いて笑った。
「だから、止めはしないと言ってるだろう。レーダーはしっかり見ててやるよ。」
「ホントに薄情なやつだな。」
 おれは苦笑してBブロックのエアロックに向かった。
 ゴワゴワとした宇宙服を着込みながら、おれは口笛を吹いていた。狭苦しい所でたっぷりと圧迫感を味わった後で宇宙へ出るというのは、実は気持ちがよくないこともないのだ。もちろん宇宙服を着ての外壁修理は、煩わしさを通り越して一種の苦行ではあるのだが。
「ハッチ、オープン。」
 サウカの声に続いてハッチのロックが解かた。おれがスイッチを押すと、ハッチはゆっくりと開いて行った。白いハッチが音もなく上がって行き、漆黒の宇宙空間が目前に広がって行く眺めというのは、何度見てもなかなか感慨深いものだ。
 おれはトンと床を蹴って宇宙へ出た。クルリと身をひねって外壁に着地する。もう何度目かの宇宙大工で、慣れたものだ。そこから破損箇所までは歩いて行くことになる。暗黒の無重力空間を、大工道具片手にマグネット・シューズでベッタンベッタン歩いている図というのは、傍から見ると結構笑えるかも知れない。
 やっとのことで破損箇所に着いてバーナーを手にした時、誰かがヘルメットを叩いたような気がした。思わず辺りを見回したが、誰がいるはずもない。
 作業に戻ろうとしてふと横を向いたおれは、何かが目の前を通り過ぎるのを見た。それはジャリのような石ころだった。
 レーダーに写らないようなジャリの大群の中へ、この船は入り込んでしまったのだ。
 事態を察して目を丸くした時は既に遅かった。
 宇宙服の切り裂かれる音が聞こえたような気がしたが、気のせいかも知れなかった。

 聞き覚えのある声がした。
 薄く目を開けると、友人の顔があった。
 友人はおれににっこりと微笑みかけた。
「気が付いたか。よかったな。」
 意識にも目の前にも白いモヤがかかっているようで、その友人の名前が出て来なかった。おれの心が安らぐような、親しい友人であることは確かなのだが。
 体中、まるで自分ではないような感じだった。どうやらおれは怪我をしたらしい。
 おれはもどかしさに軽くうめいた。
 友人はやさしく言った。
「もう少し眠っていろ。何も心配はいらない。」
 おれはおとなしく目をつむった。とてもねむたかった。
 はっきりしたことが何も頭に浮かばなかった。だが、今はどうでもいいような気がした。
 そう。今はただ、ゆっくりと夢を見させてほしいんだ・・・。


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