ショートショート作品 No.028

『ジェシイ』

 宇宙は今日も平和だった。
 しかし、地球から月へ向かう航路の軌道上に、心中とても平和とは言えない男が一人いた。中型練習宇宙船<ホイサ2号>のパイロット・シートにどっかと座り、妙な雑誌を手に両足をコンソールの上に投げ出している男、ヤマサキ・シンゴ。この船の船長兼パイロット兼主任整備士である。
 シンゴはその憤懣をかくそうともせずに、A4版中閉じの薄っぺらな雑誌のページを荒々しい手つきでめくっていた。
 後部の座席でそれまで一心にキーボードを叩いていたミヤイ・カズトが、ふと手を休めて顔を上げた。カズトはこの船の副長兼主任コンピュータ技師兼主任航海士である。つまるところ、<ホイサ2号>の乗組員は2名だけなのだ。いや、考えようによってはもう1名いるのだが。
「また<リクルート>を読んでるのか?」カズトはあきれた顔で、シンゴの背中に声をかけた。
 シンゴは振り向かず、憮然として答えた。「勝手だろ?今度こそ俺は本気なんだ。」
 カズトは小さなため息をついた。「転職するって言うのか? お前、この前もそう言ってただろう。」
 シンゴはムキになって言った。「だから、今度こそ本気なんだ! 俺はもういいかげんこの仕事にはウンザリなんだよ。こんなヤな仕事他にないぞ!」
「そうかい? おれは結構楽しいけどな。」
「そりゃ、お前さんはいいだろうよ? 妙な機械なんかとお友達なんだからな! 今回なんか、特に楽しいんだろう!?」
「まあね。」カズトは笑いを噛み殺しているようだった。
 不意に、若い女性の艶っぽい声が口を挟んだ。
「あらシンゴ、『妙な機械』っていうのはちょっとひどいんじゃない? あなただって私がいなかったら、おちうへ帰ることだって出来ないのよ。それに、私はレッキとした万能コンピュータ<JC−3>。最新型なんだから。カズトはジェシイって呼んでくれるわよ。」
 その声は天井のスピーカーから聞こえていた。
 シンゴは思いっきりの渋面になった。
「何がジェシイだ、ふざけるな! 大体、コンピュータに女言葉を喋らせるってだけでもムシズが走るのに、それに名前を付けて喜んでるなんて、変態だ、変態!」
「えらい言われようだな。」カズトは目を丸くして言った。
 シンゴはなおもまくしたてた。「それに、『シンゴ』ってのはなんだ!? 仮にも俺は、この<ホイサ2号>の船長なんだぞ! その俺を、機械の分際で呼び捨てにするとはどういう了見だ!? なれなれしいにも程があるぞ! 最高責任者に敬意を表して、『キャプテン』と呼べ、『キャプテン』と!!」
 言いたいことを言い終ったシンゴは、「どうだ」という顔で答えを待った。
 ややあって、ジェシイの答えがあった。
「やあだ、シンゴったら水臭い。威張ってみたいのは分かるけど、そんな堅っくるしいのは今時流行らないわよ。そんなんじゃ女の子にモテないからァ。」
 シンゴはガックリとうなだれて、手にあった<リクルート>を取り落とした。
 カズトはこみ上げて来る笑いに頬を引き釣らせながら、ジェシイに声をかけた。
「やあ、ジェシイ。調子は良さそうだね。メンテナンスも順調に進んでるよ。」
「ハァイ、カズト。ご苦労様。あなたも調子良さそうね。それに比べてシンゴは調子悪いみたい。ストレスの原因はなにかしら?」
 シンゴはシートの上にあぐらをかいて、すねたダダっ子のようにカズトに背を向けていた。チラリとそちらを見やったカズトは、またぞろこみ上げてくる笑いを押えるのに苦労した。
「彼はね、僕とジェシイの仲がいいんで、妬いてるのさ。」
 シンゴの背中がピクリと動いた。拳は思いきり握られているらしく、腕が小刻みに震えている。
 ジェシイが最後のとどめを刺した。
「まあ、シンゴったらしようのない人ね。わたしはカズトと同じくらい、シンゴのことも愛してるのよ。そんなことですねるなんて可愛いけど、おばかさんね。」
「こ、この・・・!」
 シンゴは奮然とシートを蹴って振り返った。だがそこにジェシイという物体がある訳ではなく、天井にスピーカーがあるだけなのに気が付き、睨みつける相手を見失ってしまった。そして結局もとのシートにドサリと腰を下ろし、拾い上げた<リクルート>を睨みつけるのだった。
 「クックック・・・」というカズトの笑い声に混じってジェシイの含み笑いが背中に聞こえたような気がしたが、シンゴは確かめる気にならなかった。
 宇宙開発が始まってから半世紀余り。月面の調査と基地の建設が一段落し、地球人は火星や金星、また木星にまで手を延ばしつつあった。
 そんな中、商魂たくましい大手コンピュータ・メーカーの<ジャパン・テクノロジー社>は、長期にわたる宇宙航行での乗組員のストレス軽減を計るため、宇宙船に搭載されるコンピュータのマン・マシン・インターフェイスに様々な特徴を持たせることを思い付いた。この案は見事に図に当り、牧師コンピュータ<SEモデル>、明朗快活コンピュータ<KNモデル>と、立て続けにヒットを飛ばした。会社はこれに気を良くし、さらに多種多様なモデルを次々に開発、発売した。今もまた一機の新しいコンピュータが<ホイサ2号>に搭載され、地球と月を往復するコースで最終テストを受けているのだった。
「あっ! だめン! そこは・・・。」
 突然船内に甘い声が響いた。
 カズトはハッと顔を上げて、頭を掻いた。
「おっとっと、悪い悪い。システム領域に触っちまった。・・・ん?」
 見ると、シンゴは見事にシートから転げ落ちていた。
「何やってんだお前?」
「う、うるさい。ちょっと床に横になってみたかったんだ。」
 さすがにカズトも少し同情的な表情になった。
「お前、ちょっと気にしすぎだよ。それとも欲求不満か?」
「大きなお世話だっ!!」
 その時、非常サインのブザーがけたたましく鳴り出した。
 身を起こしかけたシンゴの動きが思わず止まった。
「大変、大変!」ジェシイの慌てた声がブザー音に混じって聞こえた。
「何だ、どうした!?」シンゴは青くなって立ち上がり、スピーカーを見上げた。
「大変よ! 早く早く!」
「だから、どうしたんだ!?」
「調理室のお鍋が噴きこぼれてるの!」
 シンゴはその場にへたり込んだ。
 カズトはシンゴを気の毒そうに一瞥してから、苦笑して目の前のコンソールに視線を移した。
「ジェシイ、ちょっと大げさじゃないか?」
「何言ってるの。マール・シチューは煮込むときの火加減が命なのよ。火は今私が消したから、まだ間に合うわ。さあ、お鍋にスープを足して来て。」ジェシイの口調はキッパリとしていた。
「お、お前なぁ・・・。」シンゴはシートにもたれかかっていた。まだショックから立ち直れないようだった。損な性格である。
 カズトはシンゴの腕をとって引っ張った。
「まぁまぁ、ジェシイのおかげで久しぶりにまともな料理にありつけるんだ。スープを足しに行こうじゃないか。」
 シンゴは人形のように引きたてられて行った。

 カズトは鍋に足すスープの分量をカップで量りながら、横目でチラリとシンゴを見やった。
 シンゴはむっつりとして、ハイパー・レンジにかけられた銅鍋を、親の敵を見るような目つきで睨んでいた。手にはいつのまにか、クシャクシャになった<リクルート>が現れていた。
 カズトはハイパー・レンジの熱量を調節しながら言った。「お前、本気で転職するつもりなのか?」
 シンゴは鍋から目を離さずに答えた。「何度も言ってるだろう。俺は本気だ。」
 カズトは体ごと向き直り、真っ直ぐにシンゴの顔を見つめた。「だから、いつも言ってる『本気』じゃなくて、今度の『本気』は本当に『本気』なのか?」
 シンゴは面食らって一瞬ひるんだが、カズトの表情が真面目なのを見て取るとしばらく黙って考え、やがて答えた。「この仕事が嫌いな訳じゃないが、このままじゃ俺の神経がもたん。・・・向いてないのかも知れないな。」そう言うとシンゴは一つため息をつき、コトコトと音をたて始めた銅鍋に視線を戻した。
 カズトが何か言おうとして口を開きかけた時、けたたましい非常サインが再び鳴り出した。
 シンゴはうんざりした顔で天井のスピーカーを見上げた。どうやら、ジェシイと話す時はスピーカーを見ることに決めたらしい。「今度は何だ!? 風呂でも沸かし過ぎたか!?」
 調理室にジェシイの声が響いた。「怒んないでよ。言いにくいじゃない。」
「怒ってやしない。早く言え!」
「何よ、怒ってるじゃない。・・・あのね・・・」
「何だ!?」
「磁気嵐が近付いてるの。」
 シンゴとカズトは脱兎の勢いでコックピットに駆け戻った。

「慌ててもしょうがないわよ。回避運動はもう始めてるから。」
 ジェシイの声は落ち着いていた。非常事態においてコンピュータが慌てていてはどうしようもないのだから、当然と言えば当然だ。
 カズトは全てのスクリーンに灯を入れた。「ジェシイ、磁気嵐の距離と規模は!?」
「距離は約12000。相対速度約150で接近中。あと約80秒で接触するわ。規模は・・・大きいわ。詳細は不明。」
 シンゴはパイロット機構を全てONにした。「くそっ! 何だってこんな所にそんなもんがあるんだ! 国際天文衛星は何をやってたんだ!?」
「ここで怒ってもしょうがないわよ。誰にだって見落としはあるわ。」
「それで済むかっ!!」
「月にも地球にも連絡したし、発見と同時に回避運動を始めたし、これ以上はどうしようもないわよ。」
「避けられそうなのか?」
「ダメみたい。」
「あのなあっ!!」
「あと68秒で頭から突っ込んじゃうわ。でもこの船のスピードと強度なら、バラバラになるほどのダメージは受けないと思うけど。」
「受けてたまるか!」
 シンゴはそれっきり押し黙り、全ての感覚を研ぎすまして突発事態に備えた。
 カズトはシステムのモード切り替えに大わらわだった。
 しばらくは、カズトがキーボードを操作する音だけがコックピットに響いていた。
「来た!!」微かな兆候を見逃さず、シンゴが叫んだ。
 途端に<ホイサ2号>船内に衝撃が伝わった。
 <ホイサ2号>は暴れ馬と化したようだった。シンゴは姿勢を制御すべく必死に奮闘していたが、カズトにはあまり効果があるようには見えなかった。もっとも、カズトにしても舌を噛まないようにするのに精いっぱいで、まわりが良く見えていた訳ではないのだが。
 そんな状態で、数時間にも感じられる数分が過ぎた後、不意に震動が止まった。
 ジェシイの明るい声が船内に響いた。「抜けたわ!」
 それを聞くと、シンゴはぐったりとパイロット・シートに沈み込んだ。何日分かの気力を使い果たしてしまったようだったが、辛うじて船長としての指令を出すのは忘れなかった。「船内チェック急げ・・・。」
 言われるまでもなく、にわかにカズトは忙しくなっていた。あちこちのスクリーンが一斉に異常を訴えていた。
「エアー漏れ区域は取り合えず全部遮断だ。後でポリマー処理してくれ。電気系の異常は・・・ええい、これくらいなら放っとけ。機関系は・・・ん? 何だ? このAE2の重量異常って。・・・ジェシイ!?」
「あら、大変! 2番の減速バーニアが半分吹き飛ばされちゃってる!」
「な・・・」
「なんだとおっ!?」カズトが声を出す前に、シンゴがシートから飛び上がった。「どうするんだ!? 2番が無かったらロクに減速出来ないぞ!!」
 カズトは慌ててスクリーンを切り替えた。「コースは!?」
「このままだと、見事に月の宇宙港に激突しちゃうわね。」
「何てこった・・・。」カズトは天を振り仰いだ。天井にはスピーカーがあるだけだった。
「くそっ、何か手はないのか・・・?」シンゴはシートの背もたれを握りしめて、独り言のようにつぶやいた。
 それに答えてかどうか、ジェシイは明るく言った。「いよいよとなったら自爆スイッチを入れるしかないけど、取り合えず進路変更を試してみるわ。どっちにしろ、あなた達は脱出して。ランチを用意するわ。月のサイトには入ってる筈だから、すぐに救援隊が来てくれるわよ。」
 カズトは目の前のキーボードに視線を落した。「ジェシイ・・・。」
 シンゴはゆっくりとパイロット・シートに座り直した。「そいじゃ、その進路変更ってやつをやってみるか。」
「OK、シンゴ。でも無理はだめよ。カズト、その間にランチのシステムをチェックしていて。発進準備もお願い。」
「・・・了解。」カズトは席を立ち、ランチの格納庫へ向かった。
 シンゴは操縦用コンソールを忙しく操作し始めた。「使えるのは減速用の1番,3番と、前部のBからD、後部のIからKか。」
「まず減速用を全開にして、それから進路修正をかけてみて。タイミングはお任せするわ。」
「了解。まあ、全開ったってタカが知れてるけどな。いきなり爆発したりはしないだろうな?」
「大丈夫だと思うわよ。多分。」
「そりゃあ頼もしいや。」
「・・・ふーん、さっきよりだいぶ元気になったのね。やっぱりシンゴはそうしてる時が一番生き生きしてて、素敵よ。」
「・・・余計なお世話だ。」
「あら、照れてるの? おばかさん。準備は出来た?」
「ああOKだ。行くぞ!・・・せーので、よっ!!」
 船内に小刻みの震動が伝わった。スクリーンのメーターに表示された数字は目まぐるしく変わったが、目標の値には程遠かった。
 シンゴはレバーを握りしめ、歯をくいしばって悪態をついた。「畜生、ボロエンジンめ! ちっともパワーが上がらない!」
「OK、シンゴ。もういいわ。急がないと脱出する時間もなくなっちゃうわよ。カズト聞こえる? 発進準備はいい?」
 ジェシイの声を伝えるのと同じスピーカーから、カズトの声が聞こえた。「発進準備はOKだ。システムも異常無い。ただ、ここには宇宙服がひとつしかないぞ。どっかから持ってこないといけないな。」
「そうなの? それじゃ、シンゴは第2エアロックから出るといいわ。確か、あそこのロッカーに宇宙服があったわよね。カズト、シンゴを外で拾えるでしょ?」
「ああ。」
「それじゃ、1分後に発進よ。グッドラック!」
「グッドラック、ジェシイ・・・。」カズトはそう言って交信を終えた。
 シンゴはまだレバーを握っていた。
 ジェシイはなだめるようなやさしい声を出した。「おばかさん、私を困らせないで。もう行かないと、ランチの減速が間にあわなくなっちゃうわ。」
 「・・・くそっ!」
 シンゴはいまいまし気にレバーを叩いて立ち上がり、第2エアロックに向かった。

 ゴワゴワとした宇宙服を着込んで気密チェックを済ませ、エアロックへ一歩踏み込んだ所でシンゴは立ち止まった。「そうだ、コンピュータのメモリー・ユニットを持って帰れれば・・・。」
「お気持ちは嬉しいけど・・・。」
 ジェシイの声は、エアロックの中にある通信用コンソールのスピーカーから聞こえていた。
 シンゴがハッとして振り向くと、スクリーンに若い女の顔が映っていた。近付いてよく見ると、コンピュータ・グラフィックのようだった。
「何だ・・・?」
「私の顔。」
「なに?」
「話す時にスピーカーとじゃつまんないと思って、一生懸命作ったのよ。シンゴが気に入ってくれるように、随分考えたんだから。せっかくだから見せておこうと思って。」
「・・・そりゃあ・・・。」
 大変不本意ながら、確かにその顔はシンゴの好みにピッタリだった。
「気に入ってくれたみたいね。嬉しいわ。だけど、見とれてる場合じゃないわよ。もう行かないと、本当に間にあわなくなっちゃうから。残念だけど、メモリー・ユニットを外してる時間はとてもないわ。」
 エアロックの内部ハッチが静かに閉じた。
「しかし、俺の任務は・・・・・、お前、少しは自分のこと考えないのか!?」
「人命が全てに優先するのよ。『ロボット三原則』知らないの?」
「コンピュータが古典SFなんか読むな!!」
 スクリーンのジェシイの顔が、寂し気に微笑んだ。
 シンゴは言葉を失って立ち尽くした。
 エアーを抜くシューッという音が薄れて行った。
「さよなら、おばかさん。」
 エアロックの外部ハッチが開かれた。
 僅かに残っていたエアーと一緒に、シンゴは漆黒の宇宙へ吸い出された。
「ジェシイ・・・!」
 行く手には、カズトの乗るランチが待っていた。

 ランチの減速が終った時、<ホイサ2号>は既にほとんど見えなくなっていた。
 シンゴはそれでもその方向から目が離せなかった。
 星が大きくまたたいたような気がした。だが、その向こうに大きな月が見える以上、その光が星である筈がなかった。
 その光を見つめて、シンゴはうめくような声を出した。「ほんと・・・ヤな仕事だよな・・・。」
 カズトはシンゴの方を見やったが、ヘルメットのバイザーに月の光が照り返し、表情は読み取れなかった。

 一週間後、シンゴとカズトの提出した滅茶苦茶な報告書によって、<JCモデル>の不採用が決定した。
 更に一週間後、シンゴとカズトは<ホイサ2号マーク2>に搭乗し、再び月への航路をたどっていた。
 シンゴはパイロット・シートにどっかと座り、<リクルート>の最新号を手に両足をコンソールの上に投げ出していた。
 カズトは後部の座席で一心にキーボードを叩いている。
「うわっ・・・!!」
 不意にパイロット・シートの背もたれが倒れ、シンゴは床に転げ落ちた。
 天井のスピーカーから、ドスの効いたガラガラ声が響いた。
「いつまでサボッとんじゃボケ!! チンタラやっとるとエアロックからおっぽり出すど!! 万能コンピュータ<YA−3>をナメたらあかんでェ!!!」
 シンゴは床をはいずりながらうめいた。「俺は転職する。今度こそ本気だ・・・。」
 今日も宇宙は平和だった。


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