ショートショート作品 No.033

『落としの野坂』

「い〜かげんに吐いちまったらど〜なんだよ。」
 スタンドの電球に後ろから照らされた野坂刑事の顔が、村岡の目の前に迫った。
 若い村岡は奮然と抗議の声をあげる。
「い〜かげんにして欲しいのはこっちです! 大体、なんだって僕が逮捕されなきゃならないのか全然わかんないんですよ!!」
 狭苦しい室内。薄汚れたコンクリートの壁。窓には鉄格子。あるのは事務机が中央に一つと隅に一つ、それに椅子が何脚か。絵に描いたように殺風景な取調室だった。そして、そこにいるのは尋問役の野坂刑事と容疑者の村岡、そして書記役の警官の、合計3人だけである。何をどう考えても楽しい雰囲気ではない。
 野坂刑事は椅子にドサッと腰掛け、腕を組んで村岡を見据えた。
「そ〜やってシラを切っていられるのも今のうちだ。おれはな、この署では『落としの野坂』と呼ばれている取り調べの名人なんだ。粘ったって、いらん苦労をするだけだぞ。」
 そういうあだ名の刑事は、どこの署にも一人はいる。
 村岡は不機嫌な顔で上目使いに野坂刑事を見て、独り言のようにつぶやいた。
「そんなこと言ったって、僕には訳がわからない。殺された女性と僕とは一面識もないんですよ。」
 野坂刑事はニヤリと笑った。
「語るに落ちたな。」
「え?」
 野坂刑事は勢いよく立ち上がって机を叩いた。
「お前、被害者が女性だって、なんで知ってるんだ!?」
「さっきあんたがそー言ってたでしょうが!!」
「・・・あ、そうだっけ?」
 野坂刑事はポリポリと頭を掻いた。
 村岡はいいかげん頭に来たようで、両手をワナワナと震わせ、野坂刑事を凄い目つきで睨んでいる。
 しばらく考え込んでいた野坂刑事は、やがてパッと顔を輝かせ、指を鳴らした。
「あ、そうだ。ほら、よく言うじゃないか。」
「・・・なんです?」
「『犯人は現場に帰る』。」
「僕は通りがかっただけです!!!」
 村岡は今にも牙や角が出そうな形相だった。
 野坂刑事は眉を寄せて言った。
「そんなにめくじら立てるなよ。そんな顔になっちゃうぞ。」
「ほっといてください!!!」
 村岡が怒鳴ると、野坂刑事は突然彼の胸ぐらを掴み、乱暴に引っ張った。
「図に乗るな!! 第一お前にはアリバイがないだろ〜が!!」
 一瞬村岡が怯んだと見て、野坂刑事は調子良く続けた。
「3月15日の午前3時、お前がアパートの部屋で一人で寝ていたことを証明してくれる人がいるってのかこのヤロウ!!」
「普通いませんよそんなもん!!!」
 汗グッショリになって否定する村岡を、野坂刑事はドサリと椅子に投げ出した。
「なかなかしぶといじゃねーか。よし、そこまでとぼけるんなら目撃者を連れてきてやる。」
「え!?」
 村岡は心底から驚いた様子だった。
「待ってろよ!」
 そう言い残して野坂刑事は取調室を出て行った。
 身に覚えのない容疑によるいきなりの逮捕、再三にわたるとんでもないやりとり、そして今の言葉への驚きなどで、村岡はしばし呆然としていた。ふと視線を窓に向けると、署の建物を出て行く野坂刑事の姿が目に止まった。
 野坂刑事は何かに向かって猛然と走っていた。そして100メートルほど行った所で通行人を一人ふんづかまえ、同じ勢いで駆け戻って来た。
 キャーッという、絹を割くような女性の悲鳴。
 村岡は椅子ごとひっくり返った。
 やがてドタドタという足音が近付いてきて、取調室のドアがバタンと開いた。そこには予想通りの野坂刑事の姿があった。つまり、左腕に取り乱した女性を抱えているのだ。
「なに!? 一体なにが起こったの!?」
 目を丸くした女性の質問はもっともである。
 やっとのことで椅子に座り直した村岡は、めまいを感じた。
 野坂刑事は右手で上着の内ポケットを探るような動作をし、拳銃を取り出した。黒光りする銃口を女性の顎に突き付ける。
「お前、この男が女を殺すところを見たんだよな?」
「・・・え? なに? 私・・・」
「み・た・ん・だ・よ・なぁ〜?」
 野坂の目には殺気が宿り、銃口は女性の頬にグリグリと押しつけられた。
 女性は顔中を引きつらせて答えた。
「え、え、え〜ぇ、そりゃぁもう・・・」
 村岡は頭が痛くなってきた。
「そんなもの証拠には・・・」
「なる!!!」
 村岡の言葉は、野坂刑事の自信に満ちた叫びに打ち消された。
 野坂刑事は目を白黒させている女性を放し、自分の椅子に戻って人指し指を立てた。
「いいか、よく考えてみろ。ここにA子さんという人がいて、B夫君がそれを殺したとする。目撃者のC美さんが、犯人はB夫君だと証言する。そして、C美さんは正しいとD太君が証言する。D太君が正しいことを、E吉君がまた証言。こんなことしてたらキリがないだろ? だからC美さんの時点で、国家権力が決着を付ける訳だ。」
「んなムチャクチャな・・・。」
 村岡は泣きたくなった。
「それがイヤなら・・・」
 野坂刑事は銃口を村岡に向け、続けて言った。
「『死人に口なし』という故事を引用する手もある。」
 村岡はビクリと身をこわばらせた。恐怖のあまり動くことは出来なかった。
 野坂刑事は不気味な笑いを浮かべ、引金を絞った。
「覚悟しろ〜〜〜」
「うわ、わ、わ・・・!!」
 カチャッ!
 轟音の代りに金属音が響いた。
 野坂刑事は楽しげに身を乗り出して言った。
「安心しろ。弾は入ってない。」
 村岡はホッと息をつきかけたが、野坂刑事の台詞にはまだ続きがあった。
「・・・1発しか。」
 村岡は全身から血の気が引くのを感じた。目尻の涙には自分でも気づかなかった。
 野坂刑事は機嫌良く撃鉄を引き起こした。6連発のシリンダーが回った。
「さー、運試し運試し。」
「た、・・・たすけ・・・・・」
 突然、開け放たれたドアの方から声がした。
「野坂刑事、もっと有力な容疑者が捕まったそうです。」
「あ、そう?」
 野坂刑事は顔だけ振り向かせた。その拍子に引金が引かれ、撃鉄は落ちた。
 村岡の身体はビクッと引きつった。
 カチャッ!
 再び室内に金属音が響き、後には静寂が訪れた。
「・・・じゃ、お前もう帰っていいよ。」
 そう言うと野坂刑事は立ち上がり、意気揚々と取調室を出て行った。新しい容疑者を尋問するために。
 村岡は答えなかった。
 知らせを持ってきた刑事は村岡を見ると、ため息をついた。
 椅子にダラリと座っている村岡の目は焦点を結ばず、口はパクパクと開閉して泡を吹いている。
 隅の机で記録を取っていた警官が振り向き、戸口の刑事と視線を交わした。
「また『落としちゃった』みたいですね。」
「まったく、野坂さんにも困ったもんだよ・・・。」
 銅島署殺人課刑事、野坂一郎。『落としの野坂』の異名を持つ彼に『落とされた』容疑者は数知れない・・・。


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