ショートショート作品 No.036

『ゆうやくんの涙』

 ゆうやくんは、ちょっと気が弱いけど、とってもやさしい男の子。じっと座って空を見ているのが好きなんだ。だけど、ただボケッとしているわけじゃないんだよ。ゆうやくんがそうしているときは、いろんなことを考えているときなんだ。
 今日考えているのは、きのうの晩ごはんに出たお魚のこと。ゆうやくんはのこしてしまって、お母さんにおこられた。
「このあいだはちゃんと食べたじゃないの。」
 お母さんはそう言うけど、このあいだ食べられたものが今日は食べられないこともあるっていうことが、お母さんにはわからないのかな。
 ゆうやくんはね、きのう、晩ごはんのテーブルに乗っているお魚の目を見たんだ。お魚の目は白くて、まんまるくて、なんにも見ていなかった。そのとき、ゆうやくんはきゅうに気がついちゃったんだ。このお魚は死んじゃってるんだって。広い海を自由に泳いでいたのに、つかまって、焼かれて、死んじゃったんだって。ゆうやくんはそう思ったら、とてもお魚を食べることなんかできなかった。このあいだまでおいしいと思って食べていたけど、やっぱり食べられなかったんだ。
 ゆうやくんは、空を見ながら考えた。みんな、お魚を食べてる。死んじゃったお魚を食べてる。生きものを大切にしましょうっていつも言っている吉田せんせいだって、金魚をとてもかわいがっているとなりのみどりお姉さんだって、お魚を食べてるんだ。どうしてなんだろう。なんでみんな平気なんだろう。
 ゆうやくんはいっしょうけんめい考えたけど、どうしてもわからなかった。だから、思い切ってお母さんにきいてみたんだ。
 お母さんはちょっと困った顔をした。そして少し考えてから、ゆっくりと言った。
「あのね、人間だって、動物だって、何かを食べないと生きていけないのよ。」
 ゆうやくんはがっかりしてしまった。だって、ゆうやくんだってそんなことは知っているもの。ゆうやくんは少しじれったくなった。
「だって、へんだよ!」
「へん? なにがへんなの?」
 お母さんはちっともわかっていないみたいだった。ゆうやくんは悲しくなってきた。
「だって、ねこはかわいそうだからいじめちゃいけないんでしょ? どうしてお魚はかわいそうじゃないの?」
 お母さんはまた困った顔をした。
「そうね・・・。お魚がかわいそうじゃないわけじゃないのよ。でもね、しかたがないじゃない。お母さんだって、ゆうやだって、食べなかったら、おなかがすいて死んじゃうんだもの。」
「そんな・・・。そんなの、へんだよ! いやだよ!」
 ゆうやくんは悲しくて、じれったくて、泣きたくなった。だから、ゆうやくんは自分の部屋に走っていった。そして、あたまからベッドにもぐり込んで、泣いたんだ。

 ゆうやくんは目をさました。ゆうやくんはたくさんたくさん泣いて、つかれてねてしまったみたいだった。だれかがゆうやくんの肩を、ふとんの上からたたいていた。
 涙はかわいてかおにクシャクシャしていたけど、ゆうやくんはやっぱり悲しくて、うごきたくなかった。声を出すのもいやだった。だから、肩をたたかれても、ただじっとしていたんだ。
 そうすると、声がきこえた。
「さあ、出ておいで。」
 その声は、お母さんでもお父さんでもなかった。浦和のおじさんでも佐藤さんちのおばさんでもない。ゆうやくんのきいたことのない声だった。でも、とってもやさしい声だった。
 ゆうやくんは、ふとんから少しだけかおを出してみた。
 そこにいたのは、やっぱり見たことのない人だった。知らない人について行っちゃいけないっていつも言われていたから、ゆうやくんはちょっと心配になった。でも、よく考えてみたらここはゆうやくんの家だし、ゆうやくんの部屋だ。知らない人について来ちゃったわけでもないし、ついて行くつもりもない。それがわかると、ゆうやくんは安心した。それに第一、そこにいた人はとってもやさしそうだったんだ。
「こんにちは、ゆうやくん。」
 そう言って、その人はニッコリと笑った。
「こんにちは。」
 ゆうやくんは悲しい気持ちがのこっていたけど、その人の笑顔をみると、しぜんに口のかたちが少し笑った。
「泣いていたね?」
 その人は、やさしくたしかめるように言った。
 ゆうやくんは答えられなかった。泣いていたなんてはずかしかったし、ゆうやくんはうそつきじゃなかったから。
 その人はゆうやくんの肩に手をおいて言った。
「はずかしいことじゃないよ。いっしょうけんめい考えて、しかたがなくて泣くのはね。」
 そう言われるととっても安心できるような気がしたけど、それでもやっぱりゆうやくんははずかしかった。だから、なんて言っていいのかわからなくて、まだだまっていた。
「お魚のために泣いていたんだね?」
 その人は、今度もとてもやさしく言った。
 ゆうやくんはちょっとおどろいた。でも、ははあ、きっとお母さんに聞いたんだな、と思いついたから、また少しはずかしくなった。顔がちょっと赤くなったような気がしたけど、こんな時にずっとだまっているのはちっちゃいこどもみたいだと思って、思い切って言ってみた。
「そうだよ。」
 声が少しふるえてしまったみたいだった。
 その人は、ゆうやくんがしゃべったので安心したみたいだった。だって、やさしい笑顔がもっとやさしくなったんだもの。
 その人は、すこし間をおいてから、ゆっくりと言った。
「お魚、食べられない?」
 ゆうやくんはさっきの悲しい気持ちがもどって来たみたいな気がして、急いで言った。また泣きたくならないうちに。
「食べられないよ! だって、だって・・・」
「うん、そうか。うん。」
 その人はゆうやくんの気持ちをやわらかく受けとってくれたみたいで、だから、ゆうやくんは泣くのをがまんできた。
「食べられないなら、無理にお魚を食べなくてもいいと思うよ。」
 その人の言葉に、ゆうやくんはとってもおどろいた。だって、こんなことを言う人がいるなんて、ちっとも思わなかったんだ。
 ゆうやくんがポカンとしていると、その人は続けて言った。
「でも、そうすると、ゆうやくんは何を食べるの?」
「お野菜・・・だよ?」
 ゆうやくんはお野菜の中にきらいなものがいくつかあったから、ちょっと自信のない声になった。
 その人は気にしていないみたいで、ゆうやくんの目をまっすぐに見て言った。
「そうか。でも・・・お野菜は、かわいそうじゃないの?」
 ゆうやくんはハッとした。気がつかなかったんだ。学校ではへちまを大切に育ててるし、みどりお姉さんは金魚だけじゃなくてチューリップもとても大切にしてる。おんなじことだったんだ。
 ゆうやくんは顔がクシャッとなるのをかんじた。
「かわいそう・・・。かわいそうだよ。」
 その人は、そんなゆうやくんから目をそらして、遠くを見るような顔をした。そして、前よりもっと、ゆっくりと言ったんだ。
「人間も、動物も、草やお花も、みんな何かを食べて生きるんだよ。」
「草やお花はちがうよ。何にも食べないよ。」
 その人は、またゆうやくんをまっすぐ見た。
「草もお花も、水を飲む。そして、土から栄養をとるよ。動物や葉っぱなんかが死んで、土になったのからね。人間や動物とはちょっとちがうかもしれないけど、同じとも言える。」
「そんな・・・。」
 ゆうやくんは下をむいた。涙がこぼれそうだった。
 その人は同じようにやさしく、続けて言った。
「みんな、そういうふうにできていて、そういうふうになっているんだよ。」
 ゆうやくんはなんだか悲しいようなくやしいような気持ちがして、顔をあげた。
「だれがそうしたの? 神さまがしたの?」
 その人は、なぜかニッコリしたように見えた。
「さあ、それはどうかな。ゆうやくんは、神さまっていると思う?」
 ぎゃくにきかれてしまって、ゆうやくんはこまってしまった。
「わかんないよ。おじいちゃんはいるって言ってた。でも、しげきくんのお兄ちゃんはいないって言ってたよ。」
「そうだね。神さまがいるかどうかなんて、本当はだれにもわからないんだよ。」
「そうなの?」
 ゆうやくんはおどろいた。そんなこと初めてきいたんだもの。
「うん。・・・ただね、この地球に命があって、草や花があって、動物や人間がいるっていうことは、とってもすごいことなんだよ。本当に、どこかに神さまがいるとしか思えないくらいにすごいことなんだよ。だから、これがただのとってもすごいぐうぜんなんだって思えない人は、神さまはいるんだって思うんだよ。」
「そんなに・・・すごいことなの?」
「うん。たとえば、ゆうやくんが空のたくさんの星から一つだけえらんでってだれかに言われて、ある星をえらんだとするよね。そうしたら、同じことを言われたお母さんも同じ星をえらんでいた。お父さんも同じ星をえらんでいた。よくきいてみたら、世界じゅうの人がみんな、同じ星をえらんでいた。・・・っていうくらいすごいことなんだよ。」
「ふ〜ん・・・。」
 ゆうやくんはよくわからなかったけど、この人の言っていることはしんじてもいいような気がした。よくはわからなかったけど、そんな気がしたんだ。
 その人は、また遠い目をして言った。
「地球は、生きているんだよ。」
 ゆうやくんは、またまたびっくりしてしまった。
「それはへんだよ。だって、地球は・・・土だもん。」
 ゆうやくんはちょっと自信がなくなってしまったけど、それでもやっぱり地球が生きているなんてへんだと思えた。
 その人はゆうやくんを見た。またニッコリしたように見えた。うれしそうに見えたんだ。
「土だって生きている。だけど、地球は土だけじゃないよ。海があって、山があって、草や木やお花や動物や、いろんなものがいて、それで地球なんだよ。」
「でも、生きてるのはお花や動物じゃない。」
「そうじゃないよ。海も、山も、みんな生きてる。そして、みんながいっしょになって、ひとつの地球なんだよ。」
「生きてるの? 海や、山が?」
「うん。海や山はね、お花や動物が生きてるっていうのとはちょっと違うんだけど、やっぱり生きてるよ。海や山は、地球の一部として生きてる。そして、それが、地球が生きてるっていうことなんだよ。」
「・・・よくわかんないな。」
「うん。あのね、海の水は空にのぼって雲になるよね。そして、雨になっていろんなところにふる。山にふると川になってながれて、いろんなところに行って、草やお花にのまれたり、動物や人間にのまれたり、そのままながれてまた海にかえったりもする。」
「うん。」
「ゆうやくんの体の中を、血がながれてるのとにてるね。」
「えっ? ぜんぜんちがうよ!」
「うん。だいぶちがうね。でも、お花もゆうやくんとはだいぶちがうけど、生きてるよね。地球もそうだとは、思えない?」
「う・・・ん、よくわかんない。」
 その人は、またうれしそうにニッコリした。どうしてだかはわからなかったけど、その笑顔を見ていると、ゆうやくんはとっても安心できる気がした。
「ゆうやくんが食べたお魚は、どこへ行く?」
 ゆうやくんはドキンとした。少しこわいような気がしたけど、ゆうやくんは勇気を出してこたえた。
「・・・おなか。」
「うん。それから?」
「・・・栄養になるよ。」
「うん。それから?」
「え・・・、あとは、うんちになるよ。」
「うん。それから?」
「えっ? それから・・・。」
「土になるんだよ。」
「土・・・。」
「そう。そして、また草やお花になったりする。」
「えっ? でも、お花になるんじゃなくて、お花の栄養になるんでしょ?」
「そうとも言えるね。それじゃあ、お花の栄養になったら、それからどうなるかな?」
「それから・・・?」
「お花をさかせて、それからお花のたねになるんだよ。」
「あ・・・。」
「そして、お花になる。」
 ゆうやくんはびっくりして、考えこんでしまった。目の前がグルグルまわっているみたいで、ちっとも考えがまとまらなかった。でも、このひとの言っていることは、とっても大切なことのように思えた。だから、覚えておこうと思った。覚えておいて、あとでまた考えようと思ったんだ。
 そんなゆうやくんを見て、その人は本当にうれしそうにほほえんだ。
 ゆうやくんの考えはグルグルまわって、グルグルグルグルまわって、そのうちハッと気がついて、最初にもどった。
「・・・でも、でも、だからって、やっぱりお魚を食べてもかわいそうじゃないっていうことにはならないよね? だって、ぼく、食べられちゃったらいやだもん。お魚だって・・・。」
 その人はゆうやくんの肩に手をおいて、ゆうやくんの目を見つめて言った。
「そうだね。そうかもしれない。・・・大切なのはね、そうやって、へんだなと思うことがあったら、いっしょうけんめい考えて、自分なりの答えを出すことなんだよ。」
「でもぼく、わかんないよ。答えなんて・・・。」
「うん。中には、とってもむずかしくてどんなに考えても答えなんかみつかりそうにないようなこともある。だけど、考えるのをやめちゃだめだよ。もし考えるのをやめたり、へんだなと思うことをほうっておいたりすると、なにもわからなくなっちゃうからね。」
 ゆうやくんは、この話はよくわかるような気がした。だから、さっきまでより元気に返事ができた。
「うん。」
「いっしょうけんめい考えたうえで、一番いいと思うようにすればいい。いっしょうけんめい考えて、それでやっぱりお魚を食べるのはいやだと思ったら、食べなくていい。・・・わかるかな?」
 ゆうやくんは大きくうなずいた。
「うん。・・・わかると思う。」
「そう。」
 その人はほほえんだ。今までもニッコリしていたようだったけど、今度のえがおが一番すてきに思えた。本当に、本当にうれしそうだったんだ。
 しばらくそうしてゆうやくんの顔を見ていたあと、その人はポンとゆうやくんの手をたたくと、急に立ち上がってドアのほうへふりむいた。
「それじゃ、もう行くよ。さよなら、ゆうやくん。」
 ゆうやくんが気がついて「さよなら」と言った時には、その人はもういなかった。ゆうやくんはしばらくその人がいたところを見ていた。なぜだかわからないけど、涙がひとつぶほっぺたをつたって落ちた。なぜだかわからないけど、その涙はさっきのとは少しちがうように思えた。
 やがて、お母さんが今夜のおかずを作っている音がきこえてきた。
 ゆうやくんはきゅうに気になって、今の人はだれなのか、お母さんにききにいった。お母さんは知らないわよと言った。だれかがきていたのも知らないと言った。とぼけてるのかもしれないな、とゆうやくんは思った。そう言えば、あの人がいなくなった時、カラスがねこに追いかけられて飛んでいくのが窓から見えたっけ。あの人はカラスだったのかもしれないな。それともねこだったのかな。それとも近所の人かもしれないし、しんせきのしらない人かもしれない。
 でも、ゆうやくんは、そんなことはどうだっていいような気がした。
 ゆうやくんはシャツのそでで、ほっぺたのなみだのあとをふいてみた。もうかわいているみたいだった。
 ゆうやくんはいろんなことをいっしょうけんめい考えながら、おふろばに顔を洗いにいった。
 今日の晩ごはんの時にはまたぼんやりして、お母さんにしかられるかも知れないね。

 おしまい。


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