朝が白けはじめた。夜明け時の窓っていうのは、どうしてこうも冷たい水色をしているんだろう。
夜は、深夜は、あまりにもあっさりと過ぎてしまう。どうしてこんなにすぐに、朝というやつは来るんだろう。早朝は、深夜の開放感と、朝の圧迫感の狭間にある、つかの間の虚脱感だ。ぼくは、これからすぐに来る朝と、朝と昼がもたらす色々なものに恐怖して、悲しいくらいに居心地のいいベッドの中ですくんでいる以外にすることがない。出来ることがない。
ドラキュラ。冗談めいた考えが頭に浮かんでは、現実的な恐怖に追い立てられて去って行く。そう、ぼくはドラキュラになってしまったみたいだ。これで笑えたらどんなにか救われるのに。
ぼくは深夜を愛するようになった。深夜の静けさを。深夜の澄んだ空気を。しばしの間だけ止まってくれる時間を。それは、押しつけるもの、追い立てるものが何もない世界だ。そこでぼくは、好きなだけ本を読んだり、絵を描いたり、音楽を味わったり、自分で興味の持てることについて考えたり出来ることを発見した。なんて素晴らしいことだろう。素晴らしい、なんていう言葉はこれまで使ってみる気にもならなかったけれど、ここにはこの言葉がピッタリ来るように思える。これもやはり、素晴らしいことだ。
何かの歌にあった、ぼくがぼくであるということを、ぼくは初めて体験したのかもしれない。それだけ、深夜の世界は素晴らしい。本当に、タキシードを着てマントを羽織ってみたい気分になったりもする。ぼくに見える夜は、生き生きとした夜だ。
しかし、朝はすぐにやって来る。朝と一緒に来るのは、ママだ。ママは、背中に社会とか常識とか、その他沢山大きなものを背負って、悲しげな、疲れた顔をして、かわいそうな息子と対決しにやって来る。かわいそうなママ。ママは僕を愛している。だから、両手に持ち切れないほどの冷たいもの、つまらないもの、そして恐ろしいものをぼくに押しつけようとする。僕はママを愛している。だけど、ぼくはママを喜ばせてあげられない。苦しませることしか出来ない。だから、ぼくはママを憎んでいる。
ぼくはママを苦しませ、悲しませ続けている。死んでしまったって、何にもならないだろう。どこかに逃げ場があればいいのに。せめて、夜でないどこかに。
そして、やはり今日も朝が来て、ママも来た。ママは今日も同じことを言った。
「どう? 今日は学校行けそう?」