「こちらが、それでございます。」
王様の信頼厚い旅商人エトナーは、例によって抜け目のない眼光を輝かせ、うやうやしく「それ」を掲げて見せた。一瞬、その場にいた全員が言葉を失った。
エトナーは得意げにゆっくりと一同を見回し、最後に王様に目を据えた。王様は、眉間に皺を刻み、エトナーの手元に見入っていた。
城内大臣のクラウスが、突然大声を上げた。
「きさま、陛下を愚弄するつもりか!」
エトナーはゆっくりと、顔だけをクラウス大臣の方に振り向けた。
「何と仰せです?」
クラウスはいきり立っていた。
「とぼけるな!きさま、何も持っていないではないか。口八丁で陛下をたばかり、空手で法外な金をせしめようという魂胆、断じて許せん!」
「おそれながら。」
足音も荒く詰め寄ろうとするクラウスを、エトナーのきっぱりとした声が押し止めた。
「これが、一定以上の知能を持つ人間にしか見えず、触ることも出来ない魔法の布でこしらえた服であることは、ただ今ご説明申し上げたはず。わたくしが長い時間と旅の労力、そして大枚の資金を投じてようやく入手した確かな品です。大臣にご覧いただけないとあれば残念至極ではありますが、わたくしは王様をたばかるつもりなど毛頭ございませんし、もとよりその必要もございません。」
「まだ申すか!この上ぬけぬけと嘘を繕うとはなんたる不届き。この場でたたき斬ってくれようか!」
「待て!」
剣に手をかけたクラウスを、今度は王様の声が押し止めた。
エトナーはクラウスを無視し、余裕しゃくしゃくたる様子で改めて王様に向き直った。
「王様、ご覧の通りでございます。この服が知能の低い者には見えないということが、これで証明されたわけでございます。加えて申し上げるならば、問題となる相手にこの服を見せることによって、外には表れぬその知能を見抜き、人物人材を選別することも出来ようという可能性が示されたわけでもございます。」
「き、きさま…!」
クラウスは顔を真っ赤にして震えていたが、王様の手前それ以上エトナーに近づくことは出来なかった。
エトナーは相変わらず自信に満ちたまなざしで、王様を見据えていた。そして、一言ずつ確かめるように、ゆっくりと言った。
「いかがでしょう、王様。お買い上げになりますか。」
王様はしばらく黙っていた。その固く引き締まった表情からは、何も読み取れなかった。そして、王様もまたゆっくりと口を開き、低い声を響かせた。
「よろしい、買おう。」
エトナーはにっこりと両の口元を引き上げ、芝居がかった動作で深々と頭を下げた。
真っ赤だったクラウスの顔が、今度は蒼白になった。喉が詰まったように、うまく言葉が出て来ない。
「へ、陛、下…!」
「どうやらクラウス卿には、大臣職は重荷のようだ。しばらく休養が必要だな。衛兵、卿を自宅までお送りしろ。」
そう言いながらも王様は、クラウスの方を見ようとはしなかった。
クラウスは目を剥き出して何事か言おうとしたが、やはり言葉にならないうちに衛兵に引き立てられて行った。その場にいた他の大臣たちは、互いにチラチラと疑わしげな視線を交わし合っていた。
「ねえねえ、王様ってさ、どうして王様なの?」
ハンスは目を丸くして、のんびりと歩く父親にまとわりついていた。
「どうしてって、なあ…。」
父親である鍛冶屋のヨーカスはため息混じりにそう言って、息子を見下ろした。ハンスは今年八歳になるのに、まだこの調子が抜けない。もちろん小さな子供が親を「どうして、どうして」の質問攻めにするのがよくあることだとは知っているし、初めての息子を愛おしく思い、誠実で気さくな親でありたいと思っているヨーカスは、どんな突飛な質問にも極力真面目に答えるようにしている。しかし、ハンスは今年八歳なのだ。もういい加減、そういう段階を卒業してくれてもいいのじゃないか?同い年の他の子と比べると背も低いし、言動も明らかに子供っぽい気がする。子を持つ親の考え過ぎかとも思うが、もしかして、何か問題があるんじゃ…?
それでもヨーカスは、自分の気持ちをぐっと抑えて、今度も真面目に答えようと涙ぐましい努力をするのだった。
「そうだなあ、王様が王様なのは、前の王様の一番目の息子だからだな。」
ハンスは嬉々として、父親の腕を掴んで足をピョンピョン跳ねさせながら、重ねて聞いて来た。
「それじゃさ、ねえ、前の王様は、どうして王様だったの?」
半ば予想出来たこの質問はヨーカスをさらにうんざりさせたが、答えは即座に出た。
「そりゃあ、その前の王様の、一番の息子だったからだ。」
ここでハンスは少し黙り込んだ。同じパターンで「その前の王様」がどうして王様だったのかを聞くと、やはり同じパターンの答えが返って来るであろうことは、さすがに過去の経験から予測出来たのだ。そうしてしばらく考えた後、ハンスは嬉しげに顔を上げて、前より大きな声で父親に問いかけた。
「それじゃ、さ、それじゃ、最初の王様は、どうして王様になったの?」
ヨーカスは一瞬、ぐっと喉を詰まらせた。やたらに短絡的で、それでいて核心を突く質問をいきなり投げかけられて戸惑ったからだが、ヨーカス自身その答えを正確には知らなかったからでもある。ヨーカスは大変な努力をして、自分の知る範囲で最大限に正確で、質問に対して誠実で、それでいてこの話を終わりに出来る答えを探した。
「そりゃあやっぱり、みんなが王様を必要としていたからだろうな。」
途端にハンスは不満をあらわにした。
「えーっ?でも、どうしてその王様が王様になったのさ。他の人じゃなくて。」
「それはまあ…、戦争に勝ったからだろう。」
「どこの戦争?誰との戦争?」
「うーん、確か、マスリアとかの…、うーん…。」
「ほら、その辺にしときな!もうすぐそこだよ。」
ヨーカスの答えが明らかに怪しくなって来たところで、妻のヘルマが助け船を出した。事実、もう目的地は目の前だったのだ。ハンスは母親の方を見て不平がましい声を出したが、それ以上は食い下がらなかった。言うことを聞かずにヘルマが怒った時の怖さは身に沁みていたし、目前に迫った人ごみの向う側にも、大いに興味があったからだ。
王様のパレードは、ほどなくやって来るはずだった。急遽企画されたこのパレードは国中で大々的に宣伝されていたし、王様がどんな服を着てお目見えするのかも知れ渡っていた。人々は家族総出で大通り沿いに詰めかけ、長大な人垣を作って待ち構えているのだった。そして、ヨーカス一家も今からそこに加わるのだ。
「こりゃ、来るのがちょっと遅かったかな。」
ヨーカスは相変わらずのんびりした口調でそう言いながら、困ったなと頭を掻いた。すでに人垣は切れ目なく連なり、おいそれとは通りが見えない状態だった。
「ヘルマ!ヨーカスも、ハンスも、こっちにおいでよ。ここなら見えるよ。」
陽気な声に振り向くと、少し向うでルイーザが手を振っていた。ルイーザはメリックという代書屋の女房で、ヘルマとは幼なじみだった。ヨーカス一家は素直にお言葉に甘えて、メリック夫婦の横に割り込ませてもらうことにした。メリック夫婦には子供がなかった。ヨーカスはメリックとはあまり親しくなかったが、家族ぐるみの付き合いを望むヘルマの肝いりで時々は顔を合わせていたし、その知的で紳士的な物腰に一目置いてもいた。仕事柄なのかどうなのか、大きな本棚一杯の蔵書を見せられた時には感心したものだ。
ヨーカス一家とメリック夫婦が互いに挨拶まじりの世間話を交わしているうちに、遠くからパレードの音楽が響いて来た。退屈しかけていたハンスがにわかにまた元気づき、ピョンピョンと飛び跳ね始めた。
「来るね。来たんだ。王様が来たんだ!」
メリックはいつも通りの落ち着いた様子でハンスに笑いかけ、飾り気のない懐中時計を取り出した。
「あと十分ほどで、王様の乗った馬車がここを通るはずだよ。」
「あと十分、あと十分!」
ハンスははしゃぎ出した。ヨーカスは周りの見知らぬ連中が迷惑がっていないかと心配になったが、楽しげな様子のメリック夫婦が一緒にいることでかなり心丈夫だった。
華やかなパレードは様々な趣向を見せてヨーカスたちの前に現れ、そして順番に通り過ぎて行った。メリックの言う十分は、あっという間に過ぎた。王様の乗ったひときわ大きな馬車が、ゆっくりと進んで来た。見物人たちは敬愛する王様に拍手喝采を送った。もちろん、ヨーカスたちもそうした。王様は鷹揚に手を振って応えていた。誰の目も、王様に釘付けだった。
ややあって、メリックが感に堪えた様子でつぶやき始めた。
「これはなんとも…、驚きだ。実に奇妙な色合いの服だ。こんなのは初めて見る。かなり遠い国のものかな。形はさほど奇抜ではないが、どことなくエキゾチックだ。」
ヨーカスは王様に目を奪われたまま、うめくように応えた。
「まったくだ。同感だな。」
周りでも、似たような会話があちこちで交わされていた。みんなが王様の服に関する感想を言い合っていた。
ヘルマとルイーザは、珍しく黙っていた。興奮しているのか、やや落ち着かなげな様子だった。
ハンスは背が小さいのでなかなか視界を確保出来ずに跳ねたり首を伸ばしたりしていたが、やがて目前まで近づいて来た馬車の上の王様を一目見るなり、よく通る高い声で叫んだ。
「なんだ、王様は何も着てないじゃないか!裸だよ!」
その声は、明らかに王様の耳にも入った。辺りが一瞬で静まり返った。全ての声が魔法で奪われたようだった。
呆然とした一秒の後に我に返ったヨーカスが大慌てでハンスをひっつかんで抱きかかえ、大きな掌で口を塞いだが、もちろんすでに、あまりにも遅かった。
王様は馬車の上からハンスとヨーカスに視線を落とした。その顔は無表情に見えたが、ヨーカスとヘルマは文字通り震え上がった。と、突然メリックが詩を朗読するように語り始めた。
「なんと、その子には王様の素晴らしい服が見えないと。実にもって残念、気の毒なことだ。しかも、自分に服が見えないとは考えずに王様が裸だと決めつけるとは、それ自体で知能の低さを証明してしまっている。傲慢と思い込みは知性の対極だ。なんと愚かしいことか。驚くべき愚鈍と蒙昧!しかし、幸いにもその子はまだ小さい。成長の途中だ。つまりその子は白痴ではなく、知恵遅れだ。よほど利口な大人にはなれないだろうが、愚鈍でもまともな大人にはなれる。悲しい頭を持って生まれて来てしまったその子を、我々みんなで守り、しつけ、育ててやらねば。それが国の繁栄と、王様への忠誠にもつながるのだから!」
メリックは王様に背を向け、視線は夢見るように人々の上をさまよっていた。
王様はメリックの言葉を聞き終わると、何事もなかったかのように無表情のまま視線を正面に戻し、右手を振り始めた。それを見て人々はまた拍手を始め、やがて辺りに先刻通りの喧騒が戻って来た。王様の馬車はヨーカスたちの前を通り過ぎ、遠ざかって行った。
長い時間をかけてようやく体から震えを追い出したヨーカスは、メリックを横目で見ながら口を開いた。
「あの、メリック…。なんというか…。」
「何も言わないでくれ。今日はもう、その可哀想な子を連れて家に帰ったほうがいい。」
メリックは疲れたように、それでもいつも通りのはっきりとした口調でそう言った。ヨーカスはそれ以上何も言えず、ハンスとヘルマを抱きかかえるようにして、背中を丸めてその場を離れ、こそこそと家に帰った。
家に帰ると、ハンスはかんしゃくを起こして泣きわめいた。わめく声はろくに言葉にはならず、何に対してパニックを起こしているのか自分でもよくわからないようだったが、「メリックさんなんか嫌いだ」という意見だけはヨーカスにも汲み取れた。
夕方、ようやくハンスを寝かしつけたヘルマはキッチンのテーブルでヨーカスと向かい合い、大きなため息をついた。ヨーカスは黙っていた。しばらくしてからヘルマは、思い切ったように顔を上げ、ヨーカスの目を見据えて言った。
「私、王様の服が見えなかったわ。」
ヨーカスは黙ってヘルマを見つめた。ヘルマは続けた。
「王様は裸のように見えた。ハンスが言ったのと同じに。あなたには、王様の服が見えたの?」
ヨーカスはためらわずに答えた。
「見えなかったよ。」
逆にヘルマの方が少し驚いたようだった。
「だって、あなたはメリックと服の話をしてたじゃない。じゃあ、見えていないのに話を合わせてたっていうの?」
ヨーカスは肩をすくめた。
「他にどうしようがある?」
ヘルマは眉を寄せて、考え込むような顔になった。
「メリックには…、見えていたのかしら?」
ヨーカスはまた即答した。
「わかるわけない。」
「じゃあ、ルイーザには?」
「知らんよ。」
ヘルマの声が苛立って来た。
「じゃあ、他のみんなはどうなの?もしかして、誰にも見えていなかったのかも!」
「だからどうだと言うんだ。」
「だからどうですって!?」
ヘルマは怒りに震えて立ち上がった。
「だからどうだなんて、よく言えるわね!ハンスが、私たちのハンスが知恵遅れだって決めつけられたのよ!ご近所にも知れ渡ってる。みんなが知ってる。これからは学校へ行っても教会へ行ってもそういう目で見られる。友達にはいじめられるわ。そのうち学校にもいられなくなるかもしれない。もちろん上級学校には行けないし、お医者にもお役人にもなれない!」
「どっちにしても、ハンスは医者にも役人にもなれないさ。多分ね。」
「ヨーカス!なんてことを!」
くってかかろうとしたヘルマは、ここでようやくヨーカスの目が痛いほどの悲しみに沈んでいることに気付き、そのまま力なく椅子にもたれ込んでしまった。
しばしの沈黙の後、ヨーカスは胸の奥から絞り出すように、静かに話し始めた。
「なあヘルマ。メリックに王様の服が見えていたかどうかを、どうやって確かめられると言うんだい?メリックは見えたと言っている。お前はそれを疑っている。それなのに、後になってメリックがやはり見えなかったと言ったら、お前はそれを信じるのか?そっちが嘘でないと、どうして言える?他の沢山の連中が嘘をついているかいないか、どうやって確かめられる?もしかすると、大部分の連中が見えたと嘘をついていて、何人かだけには本当に見えたのかもしれない。そんなことを、どうやって確かめられる?王様や大臣たちも、もちろんみんな見えていると言っているんだ。その人たちの言うことを、どうやって確かめるんだ?」
ヘルマは静かに泣き始めた。
「でも、でも、本当のことはあるはずだわ…。」
すでに必要ないことはわかっていたが、それでもヨーカスは続けて結論を口にした。
「無理だよ。わかりっこない。誰にもわかりゃしないんだ。おれにも、お前にも、メリックにも、そして王様にもな。」
ヘルマは先刻までのハンスと同じように顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙をポロポロとこぼした。
「だって、メリックったら…。ハンスが…。」
「確かなのは、メリックはおれやお前よりも利口だってことさ。知能が高いってわけだな。あいつのおかげで、おれたちは咎められずに済んだんだ。おれたちに見えないものがあいつに見えても、不思議はないよ。そして、ハンスがとんでもなく愚かなことをしたってことも、やっぱり確かだ。確かにあれは、…最悪に愚かだった。」
ヘルマは泣き声を抑え切れなくなり、やがて本格的に泣きじゃくり始めた。うまく働かない喉から、途切れ途切れに言葉が覗いた。
「でも…、王様…、裸…、かも…。」
ヨーカスは苦々しげに宙を見据え、ヘルマに向かってではなく、うめくようにつぶやいた。
「そんなことが、誰にわかる?」