【コミケ52参加レポート】当日編(1)

『怒りと満足の構図』

 8月17日(日)、いよいよサークル参加当日である。沖縄方面に接近している大型台風の影響で、東京の空にも雲が多く、気温もこの時期にしてはかなり低い。快晴だったら千人単位で人が倒れる夏のコミケにとっては、願ってもない天気と言える。
 7:10、ユージと真皆は有楽町駅で落ち合った。営団地下鉄有楽町線で新木場まで行き、そこから臨海副都心線(TWR)で国際展示場へ、という作戦である。有楽町駅周辺は、既に「それらしい」人々で賑わっている。ユージと真皆は帰りの大混雑を予想して、SFメトロカード(都営地下鉄と営団地下鉄で使えるプリペイドカードで、そのまま自動改札を通れる)を買っておくことにした。何十万もの人が参加するコミケでは、帰りの交通手段確保は実に深刻な問題なのだ。
 新木場駅は、既にかなりの混雑だった。TWRは独立した路線だということで、SFカードは使えない。ユージと真皆は国際展示場までの往復切符を買うことにした。代表で買いに行ったのはユージなのだが、まとめて買って来た切符を真皆に渡す時には既に怒っていた。どうしたのかと真皆がきくと、ユージはプンスカと答えた。
「券売機が最近はやりのカラー液晶タッチパネルのやつなんだけどさ、使いにくいんだよ凄く。やたらグラフィカルなのはいいけど、タッチパネルと画面外のボタンと併用しなくちゃならなくて、どこ押していいのか判んないんだもん。おまけに、往復切符を2枚買おうとしたら、『往復切符は一枚ずつお買い求めください』と来やがった。仕方ないから、二回に分けて買ったんだぜ。今時信じられる? まったく対したユーザーインターフェースだよ。ナメてんのかあれは。」
 TWRの券売機は、以前からJRの液晶タッチパネル式券売機の操作性の悪さにも腹を立てていたユージの逆鱗に触れてしまったらしい。加えて、乗車時間6分で片道230円という、「バブルのツケを払っている」としか思えない料金設定も火に油を注いでいる。だからと言って乗らないという程の根性があるわけでもなく、二人はそのまま無事に国際展示場駅に到着した。
 既にかなりの人出で混雑していることもあって、駅からビッグサイトまでは歩いて10分ほどかかる。その道々、ユージと真皆は更にもう一つ賭けをすることになった。対象は、「犬四郎氏と冬雪花氏がいつ現れるか」である。冬雪花氏については、サークル入場締切時刻である9:00までに現れたらユージの勝ち、それ以降になったら真皆の勝ちということですぐに話がついたのだが、犬四郎氏についてはあまりにも不確定要素が多いということで、なかなかまとまらなかった。
「今回、サークルチケット渡らなかったからなあ。」
「体力的にキツイって言ってたから、午後からになってもおかしくないし。」
「午前中に来ても、スペースに来ないで本を買いに走るってこともありそうだしなあ。」
 結局話がまとまらないままビッグサイトに到着してしまい、犬四郎氏の到着時刻予想に関してはうやむやのまま、会場入りすることとなった。
 LPGのスペースは、東地区4棟。到着してみると、そこは少年系創作ジャンルだった。そりゃあ、そのジャンルで申し込んだのだから当たり前なのだが、まわりは全部創作系の本を置いているサークルばかり。アニメやマンガのパロディだとか、H系の本はほとんど見当たらない。しかも大量に売り上げる大手サークルは壁際の少し離れたところに配置されているので、近くにいるのは比較的地味な、落ち着いた雰囲気のサークルがほとんどなのだ。全体の半分以上をエロソフトが占めていた(今はどうなのか知らないが)同人ソフトのスペースとは雰囲気がまるで違うということを、ユージは改めて実感していた。以前からファンとしてチェックしている創作系のサークル「あびゅうきょ」が近所に配置されているのを知ったときには、ちょっとした感動を覚えたりもした。よくよく考えてみると、館が違うとはいえ今回は同じ日に小女系創作ジャンルも配置されていたりするのだ。「違うジャンルに来たんだなあ」という感慨が、今になって妙に強く、ユージのまわりを包んでいた。
「コラ、ちっとは手伝わんかい!」
 一人で店頭ディスプレイを作るべく格闘していた真皆の声が、ユージの夢想を破った。そう言えば、ボケボケしている場合ではなかったのだ。
 今回、店頭に飾るディスプレイとしてのポスターなどはとくに用意しておらず、持って来たのはA3サイズの黒いボードが3枚。「現地で適当に原稿なんかを張り合わせて作っちまおうぜ作戦」なのである。もちろん、実際にレイアウト作業をするのは編集長真皆だ。
一応全部持って来たという原稿の中から適当なページをチョイス、ペタペタと乱雑な感じで配置していく。やがて、A3ボードを二枚使ったディスプレイが出来上がった。最後にちょっとした売り文句と頒布価格を書いたカードを隅の方に貼り付けて、完成である。ボードは3.5インチMOディスクのケースにガムテープで貼り付けて立てる。そのままでは安定しないので、ケースが机に接する部分はセロテープを使って固定。…などということをやっていたら、昼食用のとんかつ弁当の袋をぶら下げた冬雪花氏が現れた。朝5時起きでやって来たのだという。もちろん、まだ9時にはなっていない。
「よっしゃー! 勝ちぃ。」
 喜んだのは、もちろんユージだ。これで、真皆には3CGのペナルティが課せられることとなった。
 早速、用意しておいた『全脳連通信』Vol.01hを一冊取って冬雪花氏に渡すユージ。冬雪花氏は本を丁寧に手にとって、嬉しそうに読んでくれた。考えてみれば、冬雪花氏が自分の原稿以外の部分を目にするのはこの時が初めてなのだ。とくに犬四郎氏のイラストには、感嘆のうめきが漏れる。
「うーん、いい仕上がりですね。これで200円なら買うでしょう。」
 ユージはもうこの時点で、一冊も売れなくても満足、という気持ちになっていた。
 真皆は相変わらず一生懸命「お店作り」に励んでいる。黒ボード2枚分のディスプレイを立てた前に本を置き、印刷が薄くて使わなかった分のページをまとめて折ってサンプルとして添えた。それでもまだ黒ボード1枚と若干のスペースが残っている。ここは、真皆が自分の個人サークル「Orange's BOX」として作った『TLSレターセット』を置くのに使うのだという。TLSというのはPlayStationのゲーム『トゥルーラヴ・ストーリー』のこと。真皆がどれほどこのゲームにハマリ込んでいるかは彼のホームページにある『TLS研究所』を見ていただくとして、今回はそのTLSのキャラクターを描いた便箋と絵葉書、封筒をセットにしたグッズを作って来たというのである。PM-700Cによるカラー出力で、なかなかに美しい仕上がりだ。イラスト自体はほとんど過去に描いたものを使っているとはいえ、本を作り終えた15日の深夜から16日いっぱいで作ったというのだから恐れ入る。一つのゲームにここまで「愛」を捧げてしまう真皆の姿に、半ばあきれつつも多少の羨ましさを感じるユージであった。
 そんなところにのっそりと現れた巨漢が一人。手提鞄あたっしゅ氏である。あたっしゅはかなり古くから個人サークル「手提鞄屋魚有店」での豊富な同人イベント参加経験を持ち、MN-LPGが同人ソフト頒布活動を始めるキッカケを作った人物でもある。最近は個人サークルでのイベント参加を見合わせて、コミケにスタッフとして参加している。企業スペースのミニ四駆コーナーを立案、実現したのは彼である。
 あたっしゅは一通りメンバーと挨拶を交わすと、『全脳連通信』Vol.01hを買った最初の人物となってくれた。「身内客第一号」というわけだ。去り際、彼はユージに名刺らしきものを取り出してよこした。受け取ってみるとこれが一応8ページの本になっており、表紙は名刺そのものなのだが、中身は怪しくも危ないネタがいっぱいだった。
「…これ、なに?」
 ユージがたずねると、あたっしゅは平然と答える。
「名刺本。」
 体に似合わず、小技が得意なあたっしゅなのである。彼は悠然と手を振りつつ、ミニ四駆コーナーに戻って行った。
 そろそろ開場時刻も近い。ユージは持参の売り子用エプロン二枚を取り出した。「黒猫ジジのエプロン」を冬雪花氏に着せ、「スナフキンのエプロン」を真皆に着せようとしたが、真皆は「せめて普通のがイイ」と言って頑なに着るのを拒んだため、仕方なくスナフキンはユージが着ることとなった。冬雪花氏は、ジジのエプロンが結構気に入ったようだった。
 10:00、会場内にアナウンスが流れる。
「これより、コミックマーケット52を開催いたします。」
 サークル参加者全員による大拍手。既に3日目の最終日ではあるが、MN-LPGの面々にとってはこれが祭りの始まりである。やはり、気持ちを沸き立たせずにはいられない。
 しかし、売れ線でないマイナーなサークルは、開場直後は暇なのが通例なのだ。長時間行列した末にどっと雪崩れ込んだ一般参加者*は、一目散に予めチェックしておいた目当ての売れ線サークルを目指す。売れ線のサークルは早い段階で頒布物が売り切れてしまうため、一般参加者としては開場直後にはまずそういったサークルに向かうというわけだ。いきおい、売れ線でないサークルは暇ということになる。もちろん、LPGは「暇」な方のサークルだ。その辺の事情は、LPGのメンバーもよく解っている。とりあえず、真皆は開場と同時に買い物に出かけることにしたようだ。
 ホールの入り口付近や壁際の通路には、殺気立った人の波が目当てのサークルの本を買うべく押し寄せている。LPGのスペース前もパラパラと人が通ることは通るのだが、誰も一心にカタログや配置図を睨んで足早に通り過ぎて行く。要するに、本当に「通って」いるだけなのだ。恐らく午前中はおおむねこんな調子だろうということで、ユージはのんびり構えて冬雪花氏と雑談していた。
 しばらくしてふと気がつくと、『全脳連通信』を手にとって見てくれている人がいた。カラー表紙はやはりそれなりに人目を引く効果があるんだろうな、などということを考えていたら…。
「これ、ください。」
 ユージは一瞬絶句した。
「…あ、はい、200円になります。」
 その「客」(と言ってしまおう、この際)は100円硬貨を2枚差し出して本を受け取り、何やら「当然」といった様子で去っていった。
「ありがとうございました。」
 売り子としての自覚が自動的にそう言わせたのだが、この時まだユージの脳は停止していた。その証拠に、後で何度考えても、その記念すべき最初の「客」がどんな人物だったのか全く思い出せないのだ。
「売れましたねえ。」
 冬雪花氏の言葉で、ユージはようやく我に返った。
「ああ、いやあ、売れましたねえ。まだ開場後20分ですよ。意外や意外。なんたって、初売り上げですからねえ。ちょっと感動だなあ。」
「記念撮影でもすれば良かったですね。(笑)」
「腕を掴んで『ちょっと待ってください!』とか言ってですか?(笑) いや、でもほんと、せめて何か言うべきだったなあ。」
「サインしてもらうとかね。」
「あー、もう、今日はこれでいいや。帰りましょうか。(笑)」
 ユージ個人としては、今回の本作りの一応の目標は「身内以外の一見客に一冊でも買ってもらうこと」だったのである。本もそれなりに納得の行くものが出来上がり、「買ってもらう」という目標も、たった今、思っていたよりもずっと早い時点で達成された。もはやユージは、今回のコミケに思い残すことはなくなっていた。
 その後は当初の予想通り売れ行きはパッタリだったが、ユージは全く気にならなかった。真皆は午前中いっぱい買い物に忙しく動き回り、冬雪花氏ものんびりと目当てのサークルを巡回しているようだった。
 そんな中、ブロックノート(コミケ主催者側が管理する一種の寄せ描きノート)が回って来たのをキッカケに、隣のサークル「企画集団パペット」のメンバーと言葉を交わす機会を得るようになった。リーダー格らしい人物(本当にリーダーなのかもしれないが、その辺は聞かなかったので不明)が『全脳連通信』を買ってくれたりもしたのだが、ユージはいかにも「お返しに義理で買います」という風になってしまうのを恐れて、敢えて先方の本を買うことはしなかった。パペットが頒布していたのは、桂正和の公認ファンクラブが発行している会誌のようだった。
 しばらくしてスペースに帰って来た真皆は、知り合いのサークルでもらったというお菓子を一箱抱えていた。そのサークルでは差し入れを沢山もらってしまって食べきれない状態なので、一箱こちらに回って来たというのだ。隣のサークルの方が本を買ってくれたことを話すと、真皆は早速おすそ分けとばかりにお菓子を渡してお礼を言う。このあたりのフットワークの軽さはさすが関西人と言うべきか。こうなってくると、そこはヲタク同志である。本を売ることそっちのけで(もっともどちらの本もほとんど売れていなかったようだが)談笑に花が咲く。『全脳連通信』を買ってくれた人物は現在雑誌の編集の仕事をしていて、以前はエロ漫画家のアシスタントをしていたこともあるとのことで、色々と面白い話をしてくれた。パペットのメンバーのもう一人は角川書店に勤めているとかで、お菓子を上げたらエヴァンゲリオンのカレンダーカードをくれた。すっかり意気投合、というわけでもなかったと思うが、しまいには頒布物である会誌をユージと真皆に一冊ずつくれるという大サービス。頒布価格を聞くと一冊500円とのことで、それではあんまりだというので、とりあえず一冊分の500円だけ受け取ってもらった。
 いただいた本は桂正和FCの最後の会誌ということになるものらしく、各種設定資料などの他に桂正和の最初期(学生時代?)の作品まで載っている。ある意味ではかなり貴重な本と言えるだろう。ユージも真皆も桂正和は「昔好きだった」経験があることでもあるし、これはコミケらしい幸運な出会いだった。

 さて、そろそろ昼時である。真皆はコンビニおにぎり一個を持ったまま、今度は西地区へと買い物の旅に出た。入れ代わりに冬雪花氏がとんかつ弁当を食べるべく戻って来た。ユージは売り子業務が暇だったので、早々にやはりコンビニおにぎりの昼食を済ませてしまっていた。丁度いい頃合いだろうということで、弁当タイムの冬雪花氏に留守を任せてユージは買い物に出かけることにした。

つづく


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